2014年9月23日火曜日

9月23日


今日、9月23日は、二人が付き合いを始めた日だ。
それから5年。
今では二人の間に理子さんがいる。
時に優しい表情を浮かべ、時に全力で泣き叫ぶ理子。
泣くことで、自分の状況を必至に伝えようとしている。

先日、生まれて一ヶ月の節目を迎えることができた。
ちょうど良いタイミングでカメラマンの矢野氏に我が家へ来てもらえることになり
ファミリーポートレートを撮影してもらった。
思えば一月前、同じく矢野氏が我が家に訪れ、
花さんの妊娠姿を写真に納めてもらっていた。

柔らかく陽が部屋に差し込み、理子の表情を照らした。
空気を読んでか、泣くことはなかった。

明日、病院での一ヶ月検診がある。
体には如実に変化のあとが見られているのだけど、
きちんと数値的に計ってもらうことになる。

この情報過多の時代において、
成長の過程の目安の見当をつけるのも難しい。
無闇に他と比べて心配事も増えてしまうから。

とにかく、理子さんを守れるのは他でもなく僕と花さんであるから、
これからも寄り添って、日々を過ごしていきたい。

2014年9月16日火曜日

電話の向こう側

三連休のうち、最後の日、僕は仕事に行くこととなっていた。
とあるショップの開店前の製作物を担当しており、その対応があったのだ。
iPhoneで会社のメールと同期しているので、クライアントからのメールが来たら出社することにしていた。
昼間は掃除をしたり、花さんと理子さんと過ごした。

しかしながら、待てども待てどもメールは来なかった。
15時頃になって、クライアントに電話をした。
すると、あと2時間くらいでメールを送ることができるというので、
それまで自宅待機することにした。

9月も半ばである。
夕方の太陽はすっかり元気をなくし、虫の音も蝉から鈴虫へと変わっていた。
17時には、理子さんをお風呂に入れることにしていた。
平日は花さんがしてくれているので、休みの日は僕が担当していた。
会社に行く前にお風呂に入れることにした。

赤ちゃんが全般的にそうなのか分からないけれど、
服を脱がせて真っ裸にさせるとすごく泣く。
だから、少し寝ぼけているくらいのタイミングでお風呂に入れ、
なにが起きているか分からないうち着替えまで済ませてしまいたい、
それが生後25日経って我々が行き着いたこの時点での答えだった。

果たして、この日の理子さんはすっかりと覚醒していた。
服を脱がせると、泣いた。
そして浴槽に足をつけると少しだけ泣いた。
しかし、体を全部浴槽のお湯につけ、ガーゼタオルをお腹にあててあげると
柔らかな表情をした。
何が起きているか理解はできないけれど、お湯につかるのは気持ちがいいようだ。
花さんのお腹の中にいるような気分なのであろう。

ガーゼで顔や髪の毛、腕、手、お腹、太もも、足、背中、おしり、性器。
順番に洗っていく。背中を洗うときに体の向きを変えるのが、
僕はまだおぼつかない手つきになってしまう。
そしてそんな半人前の僕の動きを察知して、理子さんは泣くのである。

慌てて体をもとの位置に戻すと、泣いた反動なのか、浴槽内で排便した。
お湯の中で漂う便。
とてもリラックスした様子の理子さん。
僕は理子さんを抱き上げると、花さんにお湯をかけてもらい、風呂場を脱出した。

体をタオルでふき、ベビーオイルを塗り、おむつ、服を着させる。
基本的に中腰であるから、体力のいる作業だ。

一通り終えると、僕は仕事に行った。


会社での作業は、それほど大変なものではなく、
スムーズに対応ができた。
21時に終わればよいかと思っていたのだけど、20時には帰ることができた。
僕は仕事が終わった時は、いつも花さんに電話をかけていたのだけど
理子さんが生まれてからはメールで連絡していた。
今まさに理子さんを寝かしつけたところかもしれないし、
また花さんも、合間を縫って寝たところかもしれない。
電話で邪魔をするのは嫌だった。
この日は直前までメールのやりとりをしていたこともあって、
久々に電話をかけることにした。

「仕事終わったよ、なにかスーパーで買い物していくものはある?」
と聞くと、花さんの声に混じって、理子さんの声が聞こえた。
あぁ、家族が増えたんだな
そんなことを強く感じた。

「すぐに帰るね」僕はそう言って電話を切ると
いつもより足取り軽く、まっすぐに家に帰った。

2014年9月10日水曜日

生誕20日



理子と名付けられた我が子が生まれてから20日が経った。
たったの20日であるけれど、僕たち夫婦の生活にもたらした変化はとてつもなく大きい。
生まれたての我が子は何もできないのである。
そして、僕たちは、そんななにもできない我が子に対してもまた無力であった。

なぜ泣くのか?
その動きの意味はなんだ?

とはいえ、少しずつ、知識を増やしていく。
そして対応する。


先週の土曜日、実家の全ての者が東京へやってきた。
全てであるから、祖父母と飼い犬までもである。
そして、皆が理子を抱いて笑顔になった。
姪のうさきは、最初は恥ずかしがっていたけれど、
次第に理子への接触を深めていった。
彼女もまた、理子への愛を深めていってくれていたのである。

僕たちの場合、核家族であるから、
実家で当たり前のように行われていることができない。
大人の目が圧倒的に少ないのだ。

結婚式の挨拶の時に、僕を育ててくれたように、家庭を築きたいと言ったのだけど、
それをどのようにしていけばいいのか、これから考えなくてはいけない。


だんだんと力強く泣くようになる我が子。
可愛くて目が離せない。