2025年7月31日木曜日

竹富島へ

「なにはなくともホテルにあるプールに入りたい」というのが娘たちの要望である。

朝、目を覚ますと、カーテンを薄くあけて外を眺めた。天気が悪いのがわかる。暗い空だ。

しかし朝食を食べ終わったあと、娘たちは言う。「とにかくプールに入りたい」。

一択であった。

大人たちは「天気がもってる間に行けるところに行きたい、竹富島に行きたい」という希望を持っていたのだけど、旅の成功は子供たちをいかに誘導するかにかかっているといっても過言ではないので、まずは素直に従うことにした。


建物の外に、デザインがなされた洒落たプールが鎮座していた。

プールのロッカー室というと、なんともジメジメして不快な匂いが漂うイメージなのだけど、ここのそれはデザイン性のある湾曲した壁面だったり、男子用のロッカー室のくせにまったくの無臭であった。シャワー室やトイレもきれいである。そんなものがこの世には存在するらしい。

プール脇にあるリクライニングチェアやテーブルなどはすでに他の客に制圧されており、我々は隅の方にまるで忘れ物のように荷物を置いた。

ここはただ四角いプールに短めのウォータースライダーがついていた。気が利いているのである。

浮き輪でただプカプカと浮いたり、張り切って泳いでみたり。水中で睨めっこしたり追いかけっこなど、思いつく限りのことをした。

ただの四角いプール、それだけで十分なのだ。ただ人が多い。稲取荘のプールが恋しくなったのは言うまでもない。

時折雨が降り、止んだ。そういったことが何度か繰り返されて、もうそういうものなんだろうと理解した。これが石垣島のスタンダードな天気なのだ。


楽しいとは言え、いい加減プールから出たい。という段になって、娘たちもそれに応じてくれた。

いよいよホッピングである。竹富島へと向かうことにした。天気なんて雨が降ったり止んだりするわけなので、ホテルで傘を借りてとにかく出かけようじゃないか。

夕方過ぎからジャングルナイトツアーが控えているため、長袖を用意し出発する。

フェリー乗り場に着くといい感じに、いなたいお店がいくつかあり、そこでポータマを食べたり、美味しいと噂のシェイクを飲んだりした。こういったちょっとつまむものが最高であった。

雨は降っているがフェリーはとくに大きく揺れることもなく竹富島へと無事に上陸することができた。

フェリー乗り場では「水牛ツアーに参加する人が乗れるバス」というのがあり、それに乗ることにした。受付には大勢の人がいて、悪天候なんてなんのそのという強者が多くいるのだなと思った。

そして雨は、降ったり止んだりを繰り返していたけれど、そのうち青い空が顔を出す時間が伸びていった。

この竹富島の集落は、碁盤の目のように区分けされていて、迷い込んだらなかなか行きたい場所にたどり着くのが難しそうである。しかし訓練された水牛は長い時間をかけて道を学習し、10人近くの人間を乗せた車がその狭い道を曲がれるために、どのように動けば良いのかまでを把握して進むことができるらしい。とてもお利口さんなのだ。

ガイドのお兄さんがそのように教えてくれた。

すっかりと雨の止んだ砂の道を水牛はゆったりと進んでいく。急ぐ必要なんてない、ここは竹富島だぜ?と言わんばかりである。

ガイドのお兄さんは三線という楽器を奏でながら民謡を歌ってくれた。合いの手を入れることもできない知らない曲だけど、ゆったり流れる景色と色あざやかな花を眺めながら身を委ねた。


水牛ツアーを終えると、自転車を借りて散策することにした。花さんは後ろに玲を乗せて走った。途中、目当ての店に入って食事をとった。なぜか一番人気のカレー蕎麦というものがあり、僕はそれを注文した。玲はお腹が空いていないといってかき氷。花さんと理子はそれぞれソーキそばを頼んでいた。

確かにカレー蕎麦はうまかった。ホテルの朝食にも八重山そばなどはあったので、ちょっとイレギュラーなものが食べたくなるようだ。


食事を終えると、砂の道に慣れずに苦労しながら海へと向かった。沖縄特有だなと思うのだけど、濃い緑が生い茂ったトンネルの先に、美しい景色が広がっている。

時間帯的に干潮で、海の先端は遠いところにあった。砂浜には白くて小さいすばしっこい蟹がいた。そういった見慣れない生き物を見るとワクワクした。

二人はあえて波打ち際に落ちている枝を使って文字を書くということをして、それが波によって消えるのを楽しんでいた。

きっと何十年、下手したら数百年前からある儀式であろう。

海の中に入ると水はちょっと暖かく、心地よかった。


自転車のレンタル時間の終了があっという間にやってきて、急いで帰る。しかし碁盤の目の道が思うように望んだ場所へと向かわせてくれなかった。人が居住している家も外観が同じようなものばかりなのである。


自転車の返却を済ませると、電話予約が必要なバスに乗ってフェリー乗り場に戻り、石垣島へと戻っていった。

そうして、この日の最大のイベント、ジャングルナイトツアーを迎えるのであった。



2025年7月30日水曜日

アイランドホッピング

アイランドホッピングという言葉を聞いたことがあるだろうか。

離島から離島へとトリップすることだ。

それを「2025年我が家の夏休み」に決行することとなった。


やはり数ヶ月前からガイドブックがダイニングテーブルの上に鎮座するようになり、

花さんの頭の中でさまざまな情報が蓄積され取捨選択され、構築されていった。


そして石垣島、西表島行きが決定した。


夏といえば「青い空、青い海」だが、それと同時に沖縄には台風がやってくるものである。

こちらもやはり数週間前からヤフー天気予報やらウェザーニュースやらとにらめっこし、

毎日、へたしたら数時間おきに変わってしまう予報を夫婦でシェアしあった。


7月25日(金)。東京は晴れである。玲が学校から持ち帰ってきた朝顔にたっぷりの水を与えてから家を出た。

二子玉川から羽田空港へとバスで向かう。事故渋滞が発生し、早速出鼻をくじかれるものの、とくに大きな遅れを伴うことなく到着した。


空港で必要な一通りの作業を終えて、搭乗時間を待った。

昔は時間を潰すことができたキッズスペースでは、明らかに玲よりも小さな子供たちが全力で遊んでいた。

理子も玲ももう違うステップにとっくに進んでいたのだ。


僕は慣れないスタバでホットコーヒーを注文し、飲んだ。


搭乗時間となり、ママの隣に誰が座るのかという定例会議が行われながら、

飛行機は事務的に離陸した。

離陸と共に眠くなるのは何故だろう?



那覇に到着すると、見覚えのある売店、UFOキャッチャーが目に入る。

そしていつものメガネモチノウオである。

旅先であるのに既視感がたっぷりとあるというのは実に不思議なことだ。


石垣島へと行くのに少し時間があったので、沖縄ならではのポー玉を購入して食べた。やはり美味しい。



飛行機を乗り継いで石垣島へ向かう。

石垣島へは1時間程度のフライトである。窓の外からは原生林のモリモリした緑が目に飛び込んでくる。

そんな島の姿を見た時はワクワクした。


17時過ぎに島へと到着すると、タクシーでホテルへと向かう。タクシードライバーは台風は大したことないよと、方便を駆使して我々に教えてくれた。

結果的には沖縄で過ごした日々は、おっちゃんのいう通り台風の影響を感じることは本当になかったと言っていい。


そして、おっちゃんは、僕を見て「沖縄の人間でしょ?」と言った。

これが彼なりの沖縄ジョークなのかなんなのかわからなかった。僕の顔のどこを見てそう思ったんだろう?



アートホテルというのが我々が2日間宿泊するホテルだ。

部屋からは海らしきものが遠くに見えた。

夕飯まで時間が空いていたので、カメラ片手に散歩することにした。

子供等に声をかけたけど、僕に賛同する者はなかったので一人で出かけた。


なんとなくこっちに行けば海にたどり着くかな、くらいな気持ちで歩く。時折霧雨のようなものが肌にまとわりついて、これが南国というものかと物思いに耽る。

聞いたことのない鳥の鳴き声、唐突に響く山羊の「メ~」。目に痛いくらい発色の良い花々。

そういった華々しさとは打って変わって、どこか諦めにも似た退廃的な街並み。

建物が朽ちかけていても「暑いし、まぁいいか」と言ったことなのだろうか。

ホテルの周りを少し歩いただけでいろいろなものに触れることができる。


そして僕は唐突に潮の香りを感じ、すぐそこに海があることを知った。

その少し先には船が停泊する場所があった。


防波堤に一人座って佇む人や、ランニングする人。

家族なのか仲間なのか、手作りのような船を集団で海へと運んで着水させている姿には、妙に南国を感じた。

涼しいわけではないけど、東京にいて感じるような不快な暑さはなく、

公園のベンチで座って談笑しているグループがいたり、外で過ごしている人の姿が目についた。



1時間ほどの散歩を終えてホテルに戻ると道端には野良猫がいた。人が脇を通っても逃げようとしない。のんびりした猫だった。



20時に焼肉屋を予約していた。

前回僕がいない時に石垣島で食べた肉がとても美味しかったというのだ。

ぜひ僕も堪能させてもらおうというわけである。


値段は正直なところ張るわけだけど、旅先アドレナリンがビンビンに出ているので値段は気にせずにとりあえず盛り合わせで頼んでみる。

そしてオリオンの生ビールを喉に流し込んだ。体内に「旅」が流れ込んでくるような美味しさである。

そして肉の焼ける香ばしさ。子供たちの箸が止まらないのがその証拠であろう。


肉を噛めば脂が口に広がり、それは実に高級感のある脂だ。

その土地の名前のつく牛は、土地の名に恥じないとても美味しいものだった。



泡盛なども摂取して、ラストオーダーの時間まで滞在した。

「酔い」旅の始まり。



帰り道、僕がさっき見た猫が同じ場所で、彼らにとって当たり前の南国を感じながらゆったりと眠りについていた。

いよいよ明日からは本格的な旅が始まる。