2025年1月20日月曜日

沖縄の人柄

 必要な寝床の数が確保されているにもかかわらず、僕が目を覚ました時はすごく窮屈な体勢だった。布団のなかで玲が大暴れしていた。四捨五入したら布団から出ているとジャッジされるぐらいなものだった。

僕が起きると、花さんが白湯を出してくれた。すでにひとっ風呂あびたあとのようですっかり整っていたらしい。みんなが目を覚ますと、コンビニで買った沖縄ならではの具材のおにぎりを食べた。


僕はロンTの上に薄手のシャツジャケットを羽織っただけの格好で支度を終えた。子供たちもカーティガンを着てる程度だった。

ホテルを出ると青空のもと、バスターミナルまで歩いて行った。ひとけはあまりなく、車の往来はあるもののクラクションが鳴り響くこともなく、喧騒というのとはほど遠い。

バスターミナルに着くと、沖縄ワールド行きのバスを確認した。どうやらパスモやスイカなどの、本州では使用できる交通カードは使えず、沖縄オリジナルカードか、現金のみ使用可能のようだった。そういえばタクシーの支払いも現金のみだった。

バスの料金をあらかじめきちんと調べ、あらかじめピッタリ用意することにした。ターミナルで待っているとバスがゆっくりと滑り込んできた。どうやらいわゆる路線バスで、各駅停車のようだ。整理券を受け取ってバスに乗るのも久しぶりな気がした。

バスに乗り込むと流れゆく景色を楽しんだ。しかしこの時季の日差しも強いもので、カーテンを閉めることとなった。

40分ほど乗っていると沖縄ワールドに到着した。


花さんが事前にチケットを購入しており、スムーズな入場となった。

まず最初に玉泉洞というところに入った。いわゆる鍾乳洞であり、いきなり大冒険感のある場所だった。ひんやりする場所かと思ったのだけど、不思議とその中は暖かく、僕がかけていたメガネが一瞬で曇るほどだった。最初は怖がっていた玲も歩をすすめるにつれて楽しくなってきた、と言って軽快な足取りになった。

3年で1mmしか伸びないという鍾乳石が何メートルも連なっている姿からは歴史の偉大さを感じたし、いまもなおその長さを更新し続けているというのも面白い。床に雫がたれており、そこにはうっすらとこれからの鍾乳石の塊ができ始めていた。

勢いよく水が流れるところがあったり、静かに水がたゆたう場所もあった。そこには生き物が生息しており、子供たちは見つけると大きな声を上げた。生命の神秘である。

鍾乳洞を抜け地上に出ると、さまざまなフルーツが茂るコーナーへと行った。

バナナやパイナップル。グアバなどもあった。そのエリアを抜けた先にあるのはそんなフルーツを使ったジュースやアイスで、商売への自然な誘導にまんまと財布を広げることとなった。

グアバジュースとスイカフロート。どれも美味だった。

休憩所にいる人たちを何気なく見渡すと日本人以外しかいないと言っても過言ではなかった。中国か韓国かそれ以外。距離的な部分も大きいとは思うがこんなに密度が濃く外国人だらけな空間にいるというのは心落ち着かないものだったが、店員のおじいさんなどは慣れた感じであしらいがうまかった。

そのすぐそばにあるシーサーへの絵付けを玲がやって、紅型染めというものを理子がやった。うすく地元のラジオがかかる空間で、中国人の家族とともに絵付けをする玲。世界に一つだけのシーサーが誕生した。

その後、施設内にある小さなレストランで食事をした。値段設定が強烈に観光地だった。

僕と花さんはハンバーガー、子供たちは5000円もするハンバーグステーキを2人で分けてもらった。そのような、考えてはいけない領域というのも旅にはつきものである。

この施設内で作っているらしいビールを注文し、それを飲んで溜飲を下げるのであった。


食事を済ませると、ガンガラーの谷という場所に行った。そこはツアーへの参加という形でしか入ることができないらしい。

入り口こそ鍾乳洞のような空間だったのだけど、その先はジュラシックパークのようで木々が生い茂り、巨大なガジュマルがそこかしこと生えており、背の高い場所から茶色の根っこを長く地面に向けて垂らしている。なかなかにすごい場所だった。「ガジュマルは歩くんです」とツアーガイドのお姉さんは言った。ホラー的なことではなく物理的に本当に移動するようだ。

剥き出しになった地層と鍾乳石。歴史の単位が何桁も飛び越えた世界に踏み入れていると、自分はここでなにをしているんだろうという気になる。そこでは日本最古の人類の骨が埋まっていたり、石器や装飾品なども出土しているらしい。ガイドをしてくれたお姉さんの軽妙な語り口で随分と楽しむことができた。

その後、ドクターフィッシュの水槽に足を突っ込むというイベントを経てから帰路に着いた。帰りのバスは満席で座ることができずみんな立っていたけれどこういう時にも耐える忍耐力が子供達に備わっていてよかった。


バスターミナルにつくと10分ほどの距離でホテルには着くのだけど疲れ切っていたのでタクシーに乗ることにした。するとその運転手はものすごく丁寧で、一度Uターンしてからホテルに向かうということをすごく申し訳ないと言い、メーターをしばらく倒さずに運行してくれた。そして、どこに行ってきたのか?と質問され、場所を伝えるとバスなんか乗らなくてもタクシーで行ったら安くてすぐだったよ。と教えてくれた。

そしてタクシーすら乗らずともレンタカー借りたらもっといい、え?ペーパードライバーなの?大丈夫、沖縄の人はクラクション鳴らしたりしないよと言った。

僕らは疲れがどこかへ行ってしまうかのように笑った。

お礼をいってタクシーを降りると花さんが言った。「その土地のタクシーの運転手さんの感じでその土地のことがよくわかるよね。この前の京都で乗ったタクシー、アレだったもんね」。

そう京都で乗ったタクシーはすごく京都であった。

「え?私金閣寺から徒歩数分のところにすんでますが行ったことあらへん。え?京都なんて美味しい店ないですよ。何しにきはるんやろねぇ。」こんな感じだった。

沖縄は本当になんくるないんだろうと、人の穏やかさを知った。


夕飯はステーキを食べると決めており、それはホテルから歩いて10分強の場所だった。歩いていて思ったのだけど、道にはあまり街灯がなく暗い道だった。あまり歩いてどこかに行くというようなことが沖縄ではないのだろうか?


目的のプランAの店は、人だかりができており、待ち時間は70分だった。そこはスパっと諦めてプランBに向かう。ちょっと怪しげな雰囲気の立地にあるそこはスムーズに入店できた。

その店はオリジナルのステーキソースが数種類ある。以前テレビでも紹介されていてそれを見てから、そこに行ってみたかったのだった。店員さんはマレー系と見える人たちが多く、牛肉の店でちょっと不思議な感じがした

値は張るが、ステーキをそれぞれが注文した。すぐさま出てきたシチューも美味しいし、沖縄で飲むオリオンビールはやはり気分的にも最高だ。

いざ肉の塊が届くと色々なソースを取っ替え引っ替え楽しんだ。

にんにくしょうゆ味を理子も僕も気に入った。こんなに食べられるかな?と食べる前は圧倒されたけど、あっという間に平らげることができたし、お腹におもたさを感じることもなかった。不思議な感覚だ。

値段も4人で1万4千円ほど。牛角でみんなで食べても同じような値段だからものすごく贅沢をした、というわけでもないのかなと思った。


とても1日で沖縄を堪能するなど不可能だけど、その一端を味わうことができた。

帰り道は玲は寝た。まだ抱っこして帰ることができてよかった。

2025年1月19日日曜日

旅をするために彼女はマイルを貯めるのです

金曜日の夕方、羽田発の飛行機に乗って沖縄へと向かった。僕は2回目の沖縄である。

花さんの旅テクの一つであるマイルの関係で往復のチケットが手に入るのだが、失効してしまうからということで1月の沖縄旅行、ということにあいなった。オフシーズンというものが沖縄にあるのかは知らないが、ホテルの予約などもスムーズに取れたようだ。

かかる費用は滞在費だけである。そうしてまた次の旅へつなげるためにマイルを貯めるのだ。


東京は当然のことながら真冬の気温だけど、沖縄は15−6度とのこと。沖縄にアウターを持って行く必要はないから羽田空港のコインロッカーに預けて身軽な状態にした。

沖縄への出発口ロビーでは、修学旅行帰りの沖縄の中高生が何組かいた。チケットがない!とのたまう男子を横目に我々は搭乗する。

どういうわけか離陸する直前に眠くなり、目が覚めると飛行機は雲の上で、ようやく飛行が安定したタイミング、というところで目が覚める。もう少し寝させてほしいものだけど、結果的には帰りの飛行機でも同じだった。

少し飛行機が揺れるタイミングがあったが、機内のアナウンスがすぐに流された。先日起きた悲しい航空機事故もあってか、「多少揺れるが運行上は全く問題ありません」と乗客への配慮だと思われた。


機内では、空港で買ったおにぎりを食べるが、玲はまだ寝ていた。僕は食べ終わると久々に村上春樹の本を読んだ。「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」である。

中毒性を持って20代の時は村上作品を読み耽っていたけれど、30歳も半ばを過ぎた頃からは長編を一度読んだら読み返すということはなくなっていた。だからインタビュー集とか短編くらいが今の僕にはちょうどいい。

着陸態勢に入る前に玲は目を覚ました。そして買っておいた鮭おにぎりをむさぼり食う。

腹が減っては沖縄の地を踏むことはできぬと言わんばかりである。


空港に到着したのは20時前だった。

ホテルに一度着いてからだと夕飯を食べに行くのが億劫になると思ったので、空港で食べることにした。選んだのは前回と同じ店だった。理子はタコライスにチャレンジすると言い、玲はお子様ソーキそば。僕は島豚丼とソーキそばのセット、あとはオリオンビールである。

しかしながら食べたことのないものにチャレンジした理子はタコライスの微妙な辛さを受け付けず、玲はそもそもお腹があまり減っておらずだった。

僕の島豚丼とタコライスをチェンジ。玲の分も僕が食べることにした。

満腹ではち切れそうになりながら店を後にした。そんなお腹いっぱいの中、コンビニで翌日の朝ごはんを買う。ホテルの近くにはそういうった店がなさそうだったから、という花さんからの提案であった。抜かりない。

空港の外に出ると、暑くも寒くもないという何とも言えない気温だった。

タクシーでホテルへと向かった。到着すると半袖のホテルマンたちが出迎えてくれた。花さんがチェックイン手続きをしてくれている間にその辺をうろうろしていると、ホテルの中にはセブンイレブンが鎮座しており、土産物屋もかなり広いスペースを割いていてた。もうちょっとした街じゃんと言ってみんなで笑った。

実質土曜日だけが観光できる日なので、早々に風呂に入って寝ることにした。

湯上がりに理子と話をすると、どうやら彼女はいま小説を書いているという。そして臨時的に持たせた回線の通っていないiPhoneに、なにやら文章をスケッチしているようだ。

「パパも今の理子ぐらいの時には漫画とか書いてたよ、ママやパパに見せる必要はないけどそうやって何かに残すのはいいことだよ」と伝えた。

そしてこの旅行中もその文章のスケッチを取っている様子なので「パパもこの旅のことを日記に書くことにするよ、それは理子に見せるね」と言った。

それがこの文章である。これを読んで彼女は何かを思うのだろうか。

『変わった父親を持ったものだ、やれやれ』とか思うのかもしれない。僕はそんなことを考えながらにやにやしながら眠りについた。