どういうふうにその傾向が形成されていったのか、日常のことであるのによくわからない。
理子はひきわりの納豆が好きで、玲はコンビニでも売っているような、いわゆる普通の納豆を好む。
そういったわけで、我が家の冷蔵庫には2種類の納豆がいつも鎮座しており、いつも同じ量減っていく。
理子は昔から納豆が好きだった。僕自身も好きだからそれも自然なことなのだと思われるが、ある時、ワンオペで夕飯の支度をし、理子と一緒に食べようとした時、「なっとう、ない!」と癇癪を起こした。納豆がない食事は私はいらない、といったふうで断固食事を摂ることを拒否した。僕は仕事終わりでおかずを作ったことでもう疲弊してしまっていた。しかし夕飯を食べさせないわけにもいかない、と思った。
僕は、「絶対にここから動いてはならない」と、理子に言い聞かせ椅子に座らせ、好きなテレビ番組を見せた。鍵をかけ、自分はコンビニまで全速力で走った。それはさながらスポーツテストに挑むように全速力だった。
行きは下りだったが、納豆を買って帰った帰り道は上り道である。そして自宅に到着するまでには階段を3階分上り、へとへとになりながら、テレビを見てご機嫌な理子嬢に納豆をうやうやしく献上したのであった。
我が家で納豆を語るだけでもこんな話もあるのである。
玲に至っては、それがチャーハンだとしても、納豆をかける。納豆は食事の入り口であり、食事そのものである。
今日は水曜日。冷蔵庫にはひきわり納豆が一つ。ノーマル納豆が一つ入っている。
幸せな金曜日を迎えるためには、明日にでもスーパーで2種類のそれを買わなくてはならない。
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