2018年3月20日火曜日

from the past

つい先頃の休日。

机の周りを整理していたら、現像に出されていないままのフィルムがあった。
いったいいつ巻き上げたものなのか、さっぱり思い出せない。
その過去からの贈り物のようなものを、駅前にあるパレットハウスに持って行った。
たいてい何時間後にはできあがるのだけど、この日はどういうわけか「火曜日の仕上がりです」と言われた。
1年以上は確実に放っておいたそれの出来上がりが、たかが2日くらいかかったってどうってことがないので、「わかりました」と答えて伝票の控えをもらった。


そして今日である。
すっかり現像していたことも忘れてしまったそれを思い出したのは、財布を取り出した時で、レシートとは別のところにしまっていた伝票を見たからだった。

保育園の行く前に店に立ち寄った。
店員に伝票を渡すと、仕上がったものを渡された。僕はそれぞれを紙焼きにしないで、CDにデータを焼いてもらうようにしていた。中身の確認のために、インデックスとして小さくされた写真の羅列を提示されて、「こちらでまちがいないですか?」と聞かれた。
しかしながらまったく記憶が薄れてしまったその小さな写真たちを見ても、否定も肯定もできなかった。
というわけで「はい」と答えて受け取って持ち帰った。

理子をお迎えにいってから家に帰ると、ご飯を作る前にそれをiMacに挿入した。我が家のiMacはまだ本体自体にスロットがついているのだ。

果たしてCDに焼かれたデータたちを見てみると、そこには2016年と印字された写真たちがあった。
オペラシティにライアンマッギンレーの写真展を見に行ったとき。
山岸さんのお墓まいりに行ったとき。
ゴールデンウィークに、沼津から兄一家がやってきたとき。

思い出が日付とともに焼き付けられていた。
「あぁ、やっぱりフィルムっていいな」って思うトーンの写真たち。
写真のクオリティとは別の意味で、いい写真。
2年前の理子の姿は当然のことながら小さくて、みんながそれぞれ2歳若かった。

過去から届いた手紙のようなそれを、しっかりと受け取った。2年前現像しないでおいた自分に、ある意味で感謝したい。
ただの写真ではなく、2年分の想いがそこには蓄積されているようだった。













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