2014年3月27日木曜日

例のビデオ

僕と言う人間にもトラウマというものが一丁前にあって、
それはやはり幼少の頃の出来事が発端であった。

90年代初頭、それはやはり経済がバブルマックスな時代であり、
父親が勤めていた会社も例外ではなかった。
金持ちと言えばクルーザー。クルーザーと言えば金持ちの代名詞。
そんなクルーザーを、父が勤めていた会社では所有していた。
そして何故か、父は、船舶免許を取ったりしていた。
海の波のようになんだかフワフワとした時代だった。

とある夏の日、僕たち一家は会社の行事としてクルーザーに乗る事となった。
いくつかの家族とともにヨットハーバーへと出向き、
救命胴衣を身につけ沖へと出航する。
父は、お決まりのビデオカメラを持って、僕たち家族をレンズ越しに記録していく。


地元は、海まで歩いて行ける距離であり、
静かな夜には波音が聞こえるような環境であったにも関わらず、
遊泳禁止で、毎年なにかしら死人がでるようなところであったため
海には行けども入る事はなく、即ち海に免疫があったわけではなかった。

沖に到着すると、碇を下ろして食事などをとった。
大人たちは水上ジェットスキーやらゴムボートで遊んでいた。
照りつける太陽はまぶしく、普段日のあたらない部分の肌を容赦なく焼いた。
そんなとき、僕もゴムボートに乗ってみたい、と思った。
僕は近くにいたであろう親に、「あれに乗りたい」と多分言ったと思う。
そしてロープで括り付けられたそれに乗り込んだ。
果たして、そのゴムボートに乗ったのは僕だけだった。
兄も、母も、父も、そしてその他の大人たちが乗る事なく
ボートはクルーザーから離れていく。
あれ?っと思ったのもつかの間、ぐんぐん僕が乗ったボートは流されていく。
目の悪い僕は遠くに離れていくクルーザーをぼんやりと見つめる。
だれもボートが流されているのに気づいていない様子である。
マジかよ。

ボートは陸に近づいていく。
海水浴をしていたお姉さんに声をかけられる。
僕はそのとき泣いていた。
昔から僕は泣き虫だったんだ。
海も涙も塩っぱかった。
どうしたの?ぼく?おかあさんは?
声をかけられても絶望的な状態であった僕は
泣きじゃくるだけで、優しいお姉さんに返事をする事もできなかった。


致命的なことに、僕はボートのオールをこぐ技術を持ち合わせていなかった。
さらに僕は泳ぎが不得手である。
それでも仕方がないので、僕はボートについているロープを握りしめ、
泳いでクルーザーのもとへ戻る事にした。
しかしながら海は広く、寄せては返す波が思うように前に進ませてはくれなかった。

このまま僕は誰にも気づかれずにのたれ死ぬんじゃなかろうか、
いつも最悪な出来事を考えてしまうのはきっとこの頃からだったんだと思う。
その時、僕の方をめがけてやってくる水上ジェットスキー。
目が悪い僕は誰が乗っているか分からない。
お父さんだ!助けにきてくれたんだ!と思った。
なんて純粋な息子であろうか。
ところが来てくれたのはまったく違う人だった。
助けにきてくれたのは確かではあった。

クルーザーに戻ると、一人でいるときよりも激しく泣いた。
人の体温を感じて気が緩んだのだと思う。
そんな時、父がしていたことはなんだったか。
ビデオカメラを回している事だった。
息子が世界の終わりかのように泣きじゃくっているのに実に冷静な男である。

僕はこの日を境に海が嫌いになった。
まさにトラウマである。


時は流れて2014年。
実家に帰る度に、昔のビデオを見たい衝動に駆られ、
丁寧に整理されたビデオのタイトルを見てピックアップする。
「たすくとすぐるの太陽がいっぱい」
水曜ロードショーかのようなタイトルのそれは、
まさにあの夏を記録したビデオだった。
VHSのテープをデッキに入れ、再生する。
あのときに記憶が記録によって蘇る。
僕が広い海へと投げ出されていく。
あぁ、そっちから見た僕はそんなふうに映っていたのか。
「大変です。すぐるが流されてしまいました」
ご丁寧にテロップが入っている。
大変ですじゃねーよ!

クルーザーに戻り泣きじゃくる僕。
車に乗って家に帰るところも映像に押さえてある。
すごくふてくされた顔をしている僕。
よくグレなかったなと思う。

そんな例のビデオを、今度DVDに焼いて送ってくれるらしい。
「例のビデオをデジタル化しています。」

僕の父はユーモアに富んだ素敵な人です。
僕もあなたのようになりたい。

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