2019年8月11日日曜日

you tube

気がつくと音楽をかけながら何かをしている。大抵がYouTube。便利なもので、ログインしていれば自分の視聴履歴から、「これ、好きでしょ?」という音楽を最上位に表示してくれる。それは最近で言えばZAZEN BOYSである。

僕が洗濯物を干す時、理子に手伝ってもらうことがある。そういう時、やっぱりYouTubeで音楽を聴いている。一昨年はフジファブリックをよく聴いていて、若者のすべてのサビの部分「さいごのーはなびにー」と理子が口ずさむまでとなった。そしてそれを保育園で歌ったらしく若い先生の心をキャッチしたようだった。

いつぞやの金曜日、フジロックが開催されていた。僕はやっぱりYouTubeで配信されていたそれを見ていた。夜、花さんが気を使ってくれて、理子とともに寝室に行った。しかし理子は一度布団に入ったものの、どこか浮ついた金曜日の雰囲気を感じ取ったようで、リビングにやってきた。
しばらく暗い部屋にいたからか、明かりのついたリビングの部屋はまぶしいらしく、目を細めながら部屋に入ってくる。
「まだ寝ないの?」などと言う。数年付き合ってる同棲カップルのようなセリフだ。
「まだ寝ないよ、だって金曜日の夜だもの」と村上小説に出てきそうなセリフを僕も言う。
そして、発泡酒を片手に、キャストでテレビに飛ばしたフジロックを理子と見ている。いつもだったら僕は、一人時間を終わらせて、理子と一緒に寝室に行くところであるけれど、この日はすっかり浮ついた金曜日だったのだ。

そして、これがギターで、ベースで、ドラム、そしてこの人がボーカル、と構成を説明する。世の中にはいろんな仕事があるんだよと教える。
たしかオリジナルラブが演奏していて、 PUNPEEがゲストで入ったタイミングだった。理子がぽつりと「カッコイイ」といった。
よしよし僕の『エイサイキョウイク』の賜物だ。この良さが君にも分かるかね?

ついでだから、僕が最近聴いている ZAZENBOYSを聴かせてみることにする。やみくもに聴かせたところで「何これつまらない違うのがいい」というに決まってるからキャッチーな曲を選ぶ。
アソビタリナーイ
アソビタリナイナイナイナーイ

すると数日後、僕が何かの作業中にこの曲をかけると、頭のギターの音を聴くなり理子は言った。「これ、アソビタリナーイでしょ?」
アソビタリナーイ
アソビタリナイナイナイナーイ
しっかりライブバージョーンでお届けする理子に、僕は次になにを刷り込んでやろうかと、にやにやしながら今日もyou tubeを徘徊するのであった。


2019年7月30日火曜日

姉妹

昨日超えられなかった壁を、ひょいひょいと超えていく人が我が家に二人もいる。
立つことを覚えて、最初はぐらぐらと不器用にしていたけれど、今ではその2本の足をしっかりと直立させている人。今ではその足を前に出すことに積極的だ。
ご飯の量も増え、興味をもつ対象が増え、気になるものを指差すことも覚えた。僕が仕事から帰ると、両手を叩いて喜んでくれる。そんな姿を毎日見れて僕は幸せだ。


少し前まで、食べなかった野菜を食べる。洗濯ものを干すお手伝いをしてくれる時、うまくできなかったハンガーに通すことも、今では僕が直さなくても良いくらい、上手になった。

何気ない会話の中で出てくる言い回しや難しい言葉にハッとする。言いにくいことを言おうとする時、鼻の穴がひくひくする姿。伸びた髪の毛を、手でさっと払う仕草。去年着ていた膝下丈のワンピースが、すりむいた膝の上になっている。お気に入りのワンピースを、昨日着たけど、今日も着たいと泣いて、僕は扇風機の前にそれをくくりつけて干した。


8月に5歳の誕生日を迎えるにあたって、誕生日プレゼントは何がいいの?と聞くと、昨日はりかちゃんのお寿司屋さんセットと言っていた。しかし今日は違っていた。

「誕生日はね、れいちゃん」

タオルを頭にかぶって、それを玲さんは取って「いないいないばあ」をする。ゲラゲラと笑う玲さんと理子。

理子は玲さんのことを好きでいてくれる。ママを奪う許しがたき存在ではない。玲さんは自分の手のひらを、反対の手で指差すと、それを見て理子は「一本橋こーちょこちょ」と遊んであげる。してもらった玲さんは喜んで、その嬉しそうな玲さんを見て理子も喜んでいる。

誕生日はれいちゃん
理子の素直な言葉は、本当にいつも僕の心にほっこりする場所を作ってくれる。


毎日毎日、書き留めておこうと思うことがあるのに、せわしない日常に埋もれていってしまう。とはいえ、そんな日常も幸せの集積。昨日と違う2人の姿を明日もきっと見ることができるだろうと思うと、ついつい寝てしまうのはいつも22時だ。

明日よ早く来い来い。

2019年4月8日月曜日

旅の絶頂

ホテルの外からただならぬ雰囲気がして、ベランダから外を見てみてると、パトカーのライトがくるくるまわって辺りを赤く照らしていた。
そして、パトカーとは別に、大きな車体が現れ、屋根の上の巨大な照明が点けられ、それが海の方に向けられていた。
完全に海で何かあったとわかる状況だった。
その巨大な車は水陸両用なのか、海に入っていった。違うホテルの部屋からも、同じように状況を見守っている人たちが多くいた。
そういった緊迫感のある状況なのに、肝心の現場近くのバーレストランでは陽気な音楽が大音量でかかっており、一種の狂気のようなものが漂っていた。まずその音を止めろと僕は思った。
その後、どういう決着が着いたのかわからないのだけど、車両は去っていき、大音量の音楽も止まって、静かな時間が流れた。

平和そうなグアムにもこういった事が訪れる事を知る。


朝の4時半に目がさめる。もはや特段珍しい事でもない。せっかくだから、ベランダで海を眺めるだけではなく、近くを散歩しようという気持ちになった。
この時間帯は本当にうっすらとだけ明るい程度で、鳥たちもまだ鳴き始めない、まだまだ夜の延長の時間帯だ。

アメリカ本土からかけ離れたところの島とは言え、グアムはアメリカである。いきなり「フリーズ!」と言われるかもしれない恐怖を感じながら、ホテルの外へ行くことにした。初日に夕飯を食べたダイナー付近へ行き、しばらく歩いてみたけれど、特になにもなく、反対方向へ。するといくつか建物があり、それはスーパーマーケットのようだった。建物はどれも1階建ての低層だった。またしばらく歩くと教会があった。ふと、先日あった銃の乱射事件を思い出す。

それから路地を入ってみる。ここを行けば海に出るかな、と思ったのだけど、立ちはだかるのは野犬だった。いや、正確に言えばどこかの飼い犬なのかもしれないけれど、とてつもなくでかい。完全なる部外者の僕の存在はとうの昔に気がついているだろうに、のそのそゆらゆらと歩いている。
正味5メートル程度の幅の、舗装されていない道路。僕は端を歩き、犬とは目を合わさずに歩く。しかし一匹かわしても、奥にはまだまだ犬がいた。それに民家のようなところの軒先に人がいて、こちらを一瞥している。もうこれ以上行かないほうがよさそうな雰囲気だった。
先ほどうまくかわした犬はまだそこにいて、部外者が立ち去るのを待っているかのようだった。
「コケコッコー」と鶏が鳴いて、そろそろ朝が始まりそうだった。


ホテルに戻ると、従業員が国旗を掲揚しているところだった。当然アメリカのものだ。
ホテルの敷地内から海に出る事にした。空は黒から赤みを帯びた青になっていくところだった。そういった状況が目の前で繰り広げられていく。

海の中では3人の男が釣りを楽しんでいた。各々が数十メートル離れているので大声で話をしているのが聞こえた。この人たちは昨夜の事を知らないのだろうか。


部屋に戻るとまだ6時前だった。
しばらくすると玲さんが起き出して、我々の朝が始まった。散歩をしてきたと花さんに話す。「スーパーの方まで行ったよ」というと、「そこは24時間営業で美味しいコーヒーが飲めるらしいよ」と言われた。何事も下調べが重要だなと思った。

この日はホテルではなく、パンケーキの店に行く事にしていた。9時にならないとバスの運行がなかったのでゆっくりと支度をした。玲さんの食事もこの時点で済ませた。
玲さんは場所が変わっても特段体調に変化は見られなかった。しいて言えば便秘ではあったけれど。

9時になると外に出た。最終日もいい天気だ。バスに乗ろうとすると、酔っ払っているかのように陽気な運転手がいた。チケットを見せて降りたい場所をいうと「なんでー?」「どうしてー?」と言う。意味がわからず、このバスでは行かないの?という疑問が生まれたのだけど、なんてことはなかった「ショッピングに行く」というとにっこりして乗せてくれた。ただのグアムジョーク、コミュニケーションだったのだ。
僕らの後に乗りこんだ女性二人組にもそんな風に言っていて、ケタケタ笑っていた。そうしてバスは優しく発進した。
バスに激しく揺られて、タモンというエリアへ。いわゆる中心街であるらしく、車窓からハイブランドの看板が多く目につく。

目当ての店は I HOPというパンケーキ屋だった。僕の辞書に「パンケーキを食べにお店に行く」というのは、まったくない字面である。
店の前には列ができていた。並んでいるのはいずれも日本人だったのだけど、店の中には欧米人も多くいた。

我々も席に案内されて、テーブルに着くと陽気な店員に接客された。どこでも玲さんは人気者である。
メニューを見て、僕はパンケーキと目玉焼き、それにハッシュドポテトが載ったプレートを、花さんはベリー系のパンケーキを注文した。大人のドリンクは『 NEVER EMPTY COFFEE』。おかわりができるから空にならないということらしい。言葉遊びが素敵なメニューだった。

いざ料理が到着すると、見た目のボリュームに圧倒されてしまうところなのだけど、意外と食べきることができた。美味しかったのだけど、パンケーキにものすごく期待値を高くしていた僕にしてみると、こんなもんか、と思うような味ではあった。
後ろの席にいたのも日本人グループで、その中の子供が「パンケーキ食べたい!パンケーキ食べたい」とどこかで聞いたことのあるフレーズを口にしていた。グアムでも真似されていればその芸人も満足であろう。

バスに乗って、今度はマイクロネシアモールへ移動する。大人のショッピングタイムである。理子は相変わらず服屋に入るのが嫌いなので、僕は玲さんを抱っこしつつ、おもちゃ売り場へと行った。日本のおもちゃと違ってとても大きくてカラフルだ。理子はペッパピッグのぬいぐるみを見つけると嬉しそうに手に取り、もう離すまじ、といった風だ。最初僕は買うつもりはなかったのだけど、自分のものも特に買っていないし、最終日だし、理子にもいい思い出を残してあげようと思って買う事にした。そうしたら理子は買ってもらえるとは全く思っていなかったようでたいそう喜んでいた。
店員に玲さんの月齢を聞かれたので、8ヶ月と答えると「ビッグ!」と驚かれた。

花さんと合流すると、彼女は理子と玲さん用の服をいくつか持っていた。収穫があったようだ。僕もメンズコーナーを見てみたのだけど、全く触手が伸びない。他にも一人でフットロッカーなど、アメリカならではの靴屋にも行ってみたのだけど、買い物の神様はグアムでは結局降臨することはなかった。


その後、モール内を散策すると、中高生によるグループステージショーのようなものがやっていて、ダンスをしたりピアノ演奏を披露していた。こういったローカルなものに触れられたのはなかなかよかった。モールを一通り見た後、ホテルに戻った。


ホテルに戻ると、しばらく休憩をしたのちホテル内のプールに行った。理子はもう流れるプールには行きたくないらしい。花さんはコインランドリーで洗濯をしに行ったり、玲さんの離乳食を調達しに買い物へでかけた。

プールは入る時ひんやりと冷たかっただけどそのうち慣れた。理子は、キャーキャー言いながらその冷たさすら楽しんでいるようだ。ただのプールなので、理子は浮き輪でぷかぷか浮いてるくらいのものなのだけど、深さの違う2種類のプールを行ったり来たりしているのが十分に楽しいらしい。
たまに海の方へと行ってみたのだけど、やはりサンダルに砂が入るのがとても嫌らしく、そうそうにプールへと舞い戻った。

そうこうしているうちにだんだんと日が陰ってきた。花さんもやってきて、選手交代。僕は玲さんをあやしながらデッキに寝そべった。
今日が終われば明日の早朝に帰国する。あっという間の旅を反芻した。玲さんが産まれて初めての海外旅行は、どうやら順調に終わる。花さんが計画してくれた行程の3分の1くらいしか消化できなかったけれど、それも織り込み済みの計画であろう。子供は予想外のことを発生させるし、海外である、というだけでトラブルも発生しやすい。生後8ヶ月の子供と4歳の子供が無事に過ごせたというので十分に思えた。

日も暮れ、我々は部屋に戻り、僕は買ってあったビールを飲んだ。


夕飯はアウトレット内にあるチャッキーチーズという店に行った。この店はレストランとゲームセンターが一緒になっていて、料理を注文する際、ゲームで使用するコインも同時に購入するシステムらしい。そのゲームで得たポイントを合算して、最終的にはおもちゃと交換できる。入場する際、特殊なハンコを手に押される。子供の数と大人の数が入退場の際一緒であることを確かめるためのものらしい。なんともアメリカ的というのか、誘拐予防なわけである。

理子はプールで遊び疲れ、眠さも伴って不機嫌極まりなかったのだけど、このゲーム機たちから発せられる楽しげな音楽に、目の色を次第に変えていった。ここはどうやら楽しいところだ!と全身で感じ取ったらしい。
といっても理子が好きなのは体を動かすもので、厳密に言えばゲームではなくアスレチックのものなのだけど、生きた屍みたいだったのが見事に復活した。
律儀に靴を脱ぎ揃え、日本人らしさを垣間見せながら遊び始める。軀体の大きな外国の子供たちに負けじと登ったり、這いつくばったり、滑ったりを繰り返した。
注文していたピザは、もはや理子にはなんの魅力もないもののようで、数切れ食べるとまた遊び場へと戻っていった。僕は玲さんとともにテーブルに残り、残ったピザを食べた。
周りのテーブルには欧米人が数多くいて、誕生日会をしているグループもいた。ここの住民たちの憩いの場であるようだ。
花さんと理子はしばらく戻ってこなかった。それだけ楽しんでいるということだろう。

しばらくすると、コインを全て使い切ったようで、ゲームで得たポイントのチケットを大量に持っていた。カウンターでそれをおもちゃと交換してもらう。遊び倒した1日が終わろうとしている。


バスでホテルに戻ると、花さんはフロントで翌日のタクシーの配車を頼んでいた。本当にぬかりなくことを進めてくれる。
部屋に戻り、玲さんをお風呂に入れる。日に焼けた肌が痛いのか、泣き叫んでいた。
翌日は4時半に起きなくてはならず、僕はアラームを4時25分、4時30分、4時32分にセットした。大人たちは帰り支度を済ませ、そうそうに寝床についた。

ぐーぐーぐー
すーすーすー
ぐーぐーぐー
「それりこのー」

3人分の寝息が聞こえる中、理子が寝言をクリアな声で言っている。
いつもの夜である。


早朝に起きるにはもはや苦でもなんでもない。なんならアラームよりも早く目が覚めた。
アラームを切り、静かに支度をスタートさせる。花さんも起きて、7時35分発の飛行機に乗るために、テキパキと旅をクローズしていく。
玲さんを花さんが抱っこし、理子を僕が抱っこすることにした。

僕らを乗せたタクシーの運転手は若い女性だった。車内に花が飾られたりしていて、なんだか珍しかった。
空港までの道は混んでもなくて、あっという間に到着した。荷物を預けるカウンターではアロハシャツを着た陽気な人がテキパキと作業をしていたのだけど、その後の出来事はそれとはほど遠かった。
朝食も食べていなかったので早めに中に入ろうと、保安検査場へ行くと、長蛇の列ができていた。まだ朝の5時台である。世界各国の人たちがイライラした表情で、まったく進まない列の先の方を見ている。見た目で2つの列があるのだけど、それもどういった列なのか皆目見当がつかない。でも保安検査場があるからここから入っていくには違いない。
とりあえず並んでは見たものの、一向に進まない。アロハシャツを着た職員に向かって誰かが何かを尋ねても、とにかくこのレーンに並べというだけでなんの解決にもならないというシーンが何回も繰り広げられた。先ほどまで陽気に見えていたアロハシャツは、ただの仕事のできない人に見え始めた。
優先レーンも存在しているようだったのだけど、それもうまく機能していないようだ。判を押す職員は一人しかおらず、時間はかかる一方だった。

そして、一組の中年外国人夫婦の焦りは今にも噴火しそうな山そのもので、あと20分で出発なのだ!と訴えていた。傍目から見てもこの状況はまずいだろうと思うのだけど、職員はなにもしようとしなかった。その職員にはなにも権限がないだけかもしれないけれど。
しまいにはその夫婦は僕らの後ろに並んでいた日本人に英語で話しかけ、言葉は悪いが横入りをした。しかしそこに割り込んだとしても、それが無意味なくらい先は混んでいた。
ついに搭乗締め切り時刻になってもまだ出国手続きに至ることができないという事態に陥っている人たちが多く現れた。
その波は日本人客たちにも当然やってきて、不安な表情を浮かべたままあと10分なんだけど、どうなってるの?と不満を募らせていく。近くにいる日本人を見つけては「そちらは何時発ですか?」という質問が繰り返されていた。
結局どこかの日本人職員のような人がやってきて、「何分発の東京行きの人いますか?」と聞くといたるところで手が上がり、こんなにたくさんまずい状況の人がいたのか、と驚いた。その人たちは別のレーンに通され、奥へと消えていった。僕たちは福岡行きだったので、まだ時間があるといえばあったのだけど、列が進んでいかないことには変わりなかった。
そのうち権限をもってそうな職員が現れ次々と都市名を挙げていく。「ホノルル!ホノルル!」というと、どこそこで手が上がり、奥へと消えていった。

しばらくすると、いよいよ僕らも危ういという時刻になった。結局今まで並んでいた意味は、まったくないのだけど、別のレーンに移動となり、出国手続きをした頃にはアナウンスで「ナガハシ〜」と呼ばれるはめとなった。
免税店はおろか、ちょっとした軽食を買う時間もない。旅の最後の最後でのこのアクシデントはスパイスが効きすぎている。
名前をアナウンスされるくらい遅かったので、他の乗客の多くはもう席に着いていて、哀れみの顔を浮かべられた。
理子は昨日の疲れもあるし、早朝から起こされたため、離陸するとほどなくして、ペッパピッグのぬいぐるみを枕にして寝た。



福岡空港に到着すると、荷物をピックし、国内線に乗り換える。再度荷物を預けるのには、無人の機械で行われていた。
昼食は空港内のラーメンを食べることにした。福岡なのに、北海道ラーメンを食べるというのには理由がある。カウンター席ではなくテーブル席があったからである。
数日ぶりの日本食、といってもラーメンだけど、それはとてもおいしい。その証拠に、キッズサイズとはいえ理子も完食したほどである。
僕はビールも飲み、無事の帰国を祝った。

羽田行きの飛行機に乗り換えると、離陸も間もなく僕たちは眠りについてしまった。

羽田に無事に到着すると、どうやら少しひんやりとしている。出発した日は稀に見る暖かさのため上着は持っていなかったし、花さんや理子に至っては靴下は履いているけどサンダルだった。とはいえリムジンバスに乗ってしまえば特に関係はないのだけど。

バスに乗ると、さすがに疲労がたまってきたのか、玲さんはぐずりだし、花さんがこっそり授乳をしても泣きやまなかった。いつも混む二子玉の道に入るとピークを迎え、立って抱っこしてあやした。
二子玉に着くと、理子も疲れがマックスか、と思いきやレゴのイベントが行なわれているのを発見すると、目がキラキラしだし、そのうえ、保育園のお友達一家と遭遇したら、テンションがこの旅一番のマックスに達していた。現地では数回しか見せなかった大きな笑顔が、乱発されている。
飛び跳ね、奇声をあげている。友達には勝てないな、と思った。
結局イベント終了までいたのだけど、周りではダウンを着ている人たちもいる中、理子は鼻水を垂らしながら着ていたカーディガンすら脱いで半袖姿だった。

その後、我々は電車に乗って帰った。旅が終わると日常が待っている。でもそれも愛おしい生活には変わりない。
次の旅はどこへ?
本棚にはどこの都市のガイドブックが足されるのだろうか。

2019年4月1日月曜日

SHOPPING

海を離れ、ホテルに戻ると一休みをして、アウトレットへと向かった。これももちろんバスに乗っていく。
目的の店はロスドレスフォーレス。掘り出し物がいっぱいあるらしい。
ガタガタ揺れるバスに乗ってしばらくすると、グアムプレミアアウトレットに到着した。日本でいえばイオンモールくらいの大きさであろうか。
中には、カルバンクラインや、スニーカーショップがたくさん入っているようだった。しかし夕方前くらいに店に着いたので、あまり時間もない。目的の店をとりあえず覗いてみることにした。このロスドレスフォーレスという店は、とてつもなく広いし、雑多に様々なものが積まれていた。
レディース、メンズと区画で分かれているものの、凄まじい量感で、通路に商品が落ちていてもお構いなし。それに商品自体にもべったりと値段のシールが貼られていて、実にアメリカンで大胆なディスカウントショップだった。

僕たちは今回の旅であえてWi-Fiは持って行かなかったので、時間で区切って、入り口で待ち合わせをした。最初、理子は花さんと一緒にいたので、僕は一人でメンズのコーナーを流し見ていた。聞いたことのないブランドに混じってアディダスやナイキがいっぱいあった。中には日本でも見かける種類のスニーカーもあったし、服のラックにはリーバイスのジーンズなどもあった。しかしながら、この量感を見ているだけでお腹いっぱいになってしまい、早々に花さんたちと合流した。

理子はおもちゃ売り場で、ラプンツェルを手に入れていた。
それからは僕は理子とともに行動した。しかし店はとても広かった。服や靴以外にも、現地の人たち向けであろう日用品も売っていた。
そのうち理子がまた「おしっこ」というので店を出てトイレを探した。理子のこの告白がどの程度の緊急性をもっているのかが分かりかねるので、抱っこをして駆け回った。一度外に出てみて店内図を探してみたりしたのだけど、とにかく広いモール内を駆け回った。

ようやく見つけて個室に入り、事なきを得たのだけど、今度はまた店に戻って花さんたちを探さなくてはならない。僕は理子を肩車して、高い位置から探してもらう事にした。そして理子に「はなさーんって言って」とお願いした。「ママ」だとそこらじゅうにいるママと変わらないからである。
店内を歩き回ってみていると、レジに向かって長蛇の列ができていた。100メートル以上の長さはあったのではなかろうか。意外とグアムの人たちは辛抱強いのだろうか。

そのうち花さんを見つける事ができて、カートを覗いてみるとラグアンドボーンのサンダルを発掘していた。長蛇の列の事を花さんに告げると、並びながら理子を見ててくれるというので、僕は他の店を見る事にした。
カルバンクラインに入ると、ラフシモンズがデザインしたものがラックにかかっていた。試着してみたのだけど、僕にはタイトすぎて似合わなかった。それよりも試着室の鍵が電子式であることのほうが驚いた。

その他にもちらほらと見てみたのだけど、買うまでには至らなかった。僕はそれまで、ホテルの売店でしか財布を開いてなかった。


店に戻ると、ちょうど買い物を終えて出てくるところだった。
理子はお腹が減ったというので、フードコートに行く事にした。
日本語でメニューがでかでかと書かれている店もあるし、日本語をまるで解せないと言った雰囲気の店も当然あった。
店員と日本語でのコミュニケーションができるのかといえば、僕の肌感覚でいえばそうでもなかった。当然英語で聞かれるし、答えなくてはならないので、僕はひよって日本語のメニューが書かれた店で、「味噌ラーメン」とコーラを頼んだ。
しかしこれは美味しいとは言えない代物だった。注文が難しくても頑張って現地の人が食べていそうなものをトライしてみればよかった。
花さんといえば、店員とコミュニケーションをとって食べたいものを食べられたようだ。
語学は本当に重要だよなと思う。


8時を過ぎた頃、ホテルへと戻り、僕は売店でビールを2本買った。
あと1日で旅も終わる。余韻に浸りながら僕は喉を鳴らしながらビールを飲み干した。





2019年3月30日土曜日

BEACH

朝5時に目を覚ました。ベランダに出ると、月が高いところで煌々と光っていて、海に道筋を作っていた。水面でそれがゆらゆらしている。
月は大きな雲に覆われて隠れたり、またひょっこりと顔を出している。
しばらくは上半身裸で外に出ていたけれど、薄ら寒くて服を着た。南国といえど、そういうものらしい。
ニワトリがコケコッコーと元気よく鳴いている。しかしまだ朝はなかなか始まろうとはしていないように思う。
そう思っていたら、空がだんだんもやもやしてきて、雨が降り、しばらくするとまた止んだ。
先ほどまでは空に溶けていた山の輪郭が、くっきりと浮かんできた。太陽はどこから登るのだろう。

6時を回ると、空全体が明るくなってきた。遠くの方に強い光が見えて、星が瞬いているのかと思ったら、ゆっくり移動していた。どうやら飛行機だった。観光地には早朝から飛行機がやってくるようだ。
ニワトリ以外にも鳥の鳴き声が増えてきて、グアムの朝がどうやら始まり出し、我々も活動を開始することにした。理子は去年も着ていたお気に入りのワンピース姿だった。

前日の反省を活かして、早めに朝食を食べにバイキングへと行く。種類は豊富だった。日系のホテルらしく納豆やごはんなどがあったので、理子にはそれを与えた。しかし、いわゆる納豆のタレがなく、醤油で味付けしたのが嫌だったらしく、あまり手をつけなかった。難しい年頃である。

花さんはグアムを周遊するバスのチケットをネットで予約していて、ホテル内にあるHISのブースでそれを受け取った。いたるところにバス停があり、3日間乗り放題だった。バスはホテルにももちろん停車するため、これが本当に便利だった。ぬかりない花さんの活躍によって、我々は目的地へと向かった。

グアムの道が悪いのか、バスの性能の問題なのか、乗っているとガタガタとかなり揺れた。それにどういうわけか、座席は日本の一般的なそれとは違って、窓際に一列に並んでいるため、停車するたびに進行方向に、つんのめってしまう。

朝方の雨が嘘のようにいい天気だった。バスの車窓から眺める景色はどれも新鮮だ。いわゆるアメリカンハウスはモダンに見えたし、木々の緑はとても強く、南国を感じるものだった。しかしながら至るところに日本語の看板があった。よほど日本人がたくさん来るようである。

イパオビーチ近くの停留所で下りて、海岸まで歩いた。基本的に日陰などなく、照りつける太陽が肌に痛い。
僕が玲さんを抱っこしていたのだけど、理子も歩くのを拒否し、結局花さんが抱っこしていた。

海岸に近いところにだだっ広い公園があり、滑り台などの遊具があったけど、日差しで座面が熱くて遊ぶことはできなかった。すると理子は「おしっこ」と言った。唐突にやってくる子供の尿意。
土地勘のないところでのその意思表示は大人を困惑させる。その広場において建物っぽいそれを探して歩く。近づいてみると、全く関係のない建物で、右往左往。すると、少し離れたところにいたおじさんが、身振りであっちに行けという。思いっきりカタカナで「トイレ?」と聞くと頷いていたので、そちらに行くと本当にあった。
助かった。

気を取り直して、海辺へと行くと、ホテル前の海岸とはまた質が違って、かなり綺麗だった。まばらに人がいる程度で、特に混雑しているわけでもない。気持ちのいい場所だった。
我々は11時に、そのビーチ近くのレストランを予約していたので、一旦そちらに向かった。
プロアという名前のその店に着くと、まだ開店していなかったけれど、続々と客が集まってきた。その人たちはみんな日本人だった。
店が開くと、我々は窓辺のいい席に案内された。照明や、壁面の色の趣味がとても良い。
一押しメニューのバーベキューとシーザーサラダ、それと理子用のキッズメニューを注文する。

これがこの旅で一番の美味であった。
スペアリブを口に頬張った瞬間に広がる旨味は飛び抜けていた。「うまい!」と何度も口ずさんだ。
シーザーサラダというと、全く想像と違った形状をしていた。いわゆるクルトンにあたるものが、一つの筒状のクッキーのようになっていて、その中にドレッシングで味付けされたレタスの房が入っている。
「なんじゃこりゃ」と食べ進んでいったのだけど、これは完食できないほどの量だった。

理子といえば、ミートボールが日本で食べるようなものではないと嘆き悲しみ、パスタもあまり食べずに終わってしまった。子供を楽しませるためのメニューを選ぶのはなかなか難しい。

我々が店を出る頃には全ての席が埋まっていた。超人気店だった。


お腹がいっぱいになったところで、海に行くことにする。木陰にレジャーシートを敷き、水着になる。
理子は待ってましたと言わんばかりにささっと支度をし、海に駆け寄る。ここも波は遠くにあるので安心して遊ばせることができた。
砂浜をよくよく見ると、貝殻やサンゴが細かくなったもので形成されているようだった。だから裸足で歩くと痛い。
この日のために、水中を見ることができる筒状のスコープを持参していたので、それで観察することにした。
理子は魚が見えたと言って喜んでいた。

ときおり花さんと交代した。僕はサンダルを脱いでシートにあがると、サンダルのストラップに沿って真っ赤に日焼けしていた。新婚旅行でトルコに行ったときと同じサンダルを履いていたのだけど、当時も同じように日焼けしていて、それがおかしかった。

玲さんをしばらく抱っこしていると眠りについた。実に穏やかで平和な時間だった。
ふと、遠くの方をみると、ウエディングドレスを着た人がいて、海をバックに写真撮影をしていた。ここに来るまでは、なんでわざわざ外国にきてそんなことするんだろう、と斜に構えた考えをしていたのだけど、実際にこういう場所であることを知ると、気持ちがわからないでもない。圧倒的な絶景だからである。
自分がリゾートの魅力を知らなかっただけだった。


理子がこちらには目もくれず、海辺ではしゃいでいる。何をするわけでもなく楽しい、という最高の時間を過ごしているようだ。
僕もそんな姿を遠くから見ているだけで、気持ち良く時間を過ごせた。


まだまだ遊び足りない、と言った理子をなだめ、ホテルに帰ることにする。
理子はだんだんと不機嫌になってくる。それは単純にまだ遊びたいからというわけではなく、睡魔が襲ってきたからである。行きの反省を踏まえ、玲さんを花さんに抱っこしてもらう。電池が切れかかってる理子は僕が抱っこした。歩かなくてもいいと分かると、元気が出てくる理子。しばらくは僕の腕の中で暴れていたのだけど、しばらくするとすーっと電池が切れた。

「パチン スイッチオフ」

子供にも魅力的なグアムであった。








U.S.A! U.S.A!

到着したグアム空港では、入国のための長蛇の列ができていた。ぱっと見では圧倒的に日本人が多かったが、もちろんそれ以外も多くいるようだった。テープで仕切られた通路に、くねくねと曲がりながらとにかくたくさんの人が並んでいる。飛行機の中同様に子供がわんさかいる。そして時刻は2時近く。当然眠い時間帯である。お父さんによって抱きかかえられている子供たちが多いなか、どういうわけか理子は元気であった。

兎にも角にもまったく進まない列。今までの海外渡航で(両手で数えられる程度だけど)記憶にないくらい並んでいる。これがアメリカに入国するってことか、などど思った。子供連れを優先してくれる国もあったけど、今の状況でいえば、そんな組ばかりなわけで、どちらにしても待つしかなかった。


ようやく入国審査をパスして荷物をピックすると外に出た。しっとりと暖かかった。タクシー乗り場にはボッタクリ防止のためなのか、どこそこまでは幾ら、といった看板がある。
『オンワードビーチリゾート』というホテルが我々が宿泊するところだった。それを告げると、日本よりも大きめな車が動きだす。
当然真っ暗なので景色など見れないけれど運転手は「ビューティフルアイランド」だと言った。
空港からホテルまではあっという間に着いた。ホテルにチェックインし、部屋に入るととても広かった。早速窓を開けてみると、目の前が漆黒の海だった。波の音は聞こえなかったけれど、月の光が海面をゆらゆらと照らし、白い道を作っていた。
これはもう綺麗に違いないと確信させるものだった。
時刻はもう3時近く。我々は広い2つのベッドで寝た。


9時近くに目を覚ました。分厚いカーテンは全てを遮光していて、部屋は真っ暗だったので外の様子は全くわからない。寝ぼけ眼でベランダに出てみると、今までに見たことのない綺麗な色の海が広がっている。エメラルドグリーンと深い青とが混じり合い、遠くのほうで白い波が立っている。遠浅のようだ。少し先には小さな島がある。泳ぎが得意な人はすぐに着いてしまいそうな距離だ。
まだまだ朝なのに、既に海ではモーターボートを楽しむ人がいて、ホテルのプールでは子供達の声が響いていた。

僕らはまずホテルで朝食を食べることにした。閉まってしまうまであと1時間を大きく切っていたのだった。
バイキングのホールに行くと、家族づれが多くいた。そして、とにかく日本人ばかりだった。ホテルが日系だから、ということももちろんけれど、欧米人の姿はほぼなかった。
ホールで働く人たちはおそらくチャモロ人で、どちらかといえば東南アジアよりのように見える彼らは人懐っこそうな顔立ちをしていた。
腕にびっしりと刺青が入っているお兄さんが、玲さんを見つけると優しく微笑み、声をかけてくれた。
ご飯を食べられる時間はあまりなかったので、さっさと見繕って食べることにした。特にすごく美味しいというわけでもなかったけど、素晴らしい景色を見ながら食べるので、十分であった。
玲さんのご飯をお湯で温めて食べさせていると、タイムアップ。閉店となった。

部屋に戻ると、早速着替えをし、しっかりと日焼け止めを塗った。理子は水着のまま駆け出しそうだったので、なだめてズボンを履かせた。ホテル内は当然水着で歩いてはならないのだ。
ウォーターパークという、アトラクション系のあるほうのプールに行くと、流れるプールや、ウォータースライダーがあった。
ビーチパラソルのあるロッキングチェアはもう既に使用されていた。大人気である。
屋根のある売店の、テーブルを確保して、陣取った。理子は早速シャワーの流れる浅瀬のプールで遊び、滑り台を何回も往復して楽しんでいた。そして流れるプールに、自前の浮き輪を持って、花さんと入っていった。僕は玲さんを抱っこして、このグアムの日差しや、僕の目の前を通り過ぎていく黒いニワトリなどの、目新しいものを見て楽しんでいた。
うっかりドルを丸ごと部屋に置いてきてしまったため、売店でビールやらなにやら買うことができなかった。

ひとしきり楽しんだ二人は、テーブルにやってきて少し休憩をして、また理子はプールに舞い戻っていく。今度は花さんと交代して僕も流れるプールに入る。どこからともなく流れてくる浮き輪の一つを浸かってゆらゆら流れる。こんな風にプールに入るのは何年ぶりのことだろうか。中学生以来といっても過言ではない。

お昼をだいぶまわった頃、花さんが売店でご飯を買ってきてくれた。本当はアウトレットに行ってそこでご飯を食べる予定だったのだけど、理子はここから離れることを断固拒否したのだ。
僕はご飯のついでにLITEと書かれたビールを飲んだ。この状況で飲むそれが美味しくないわけはなかった。

花さんと交代したりして、ひとしきりプールを楽しむと、いい加減出よう、ということになった。花さんは先に着替えに戻り、僕は玲さんを抱っこしてテーブルから理子を見ていた。すぐそこの浅瀬にある滑り台で遊んでいたかと思ったら、いきなり流れるプールの方へ行った。しばらくプールサイドから眺めていただけだったのに、浮き輪を持って着水した。僕は全身の血の気が引いてすぐに駆け寄った。僕が慌てふためく姿を、理子はにやにやして最初は楽しんでいた。浮き輪に入っているので、溺れたわけではないので、まだ余裕があったのだ。
しかし僕が階段を下りて理子を捕まえようとしても捕まえることができず、理子が流れていってしまったとき、その状況にびっくりしたのか泣き始めた。当然のことだ。僕の焦りも半端なかった。プールは意外と深く、抱っこ紐で玲さんを抱えたままだと玲さんも溺れてしまう。
運よく日本人の人がその状況を見て助けてくれた。本当に助かった。何度もその人にはお礼を言って、理子にはきつく怒ったし、自分自身も戒めた。
水辺においては絶対安心なんてことはなにもなかった。

花さんが戻ってきて、ことの顛末を話すと、理子はまた泣き出した。そうして部屋に戻って休むことにした。


部屋から眺める景色が綺麗だと、なにもしてなくても居心地の良い時間が過ぎていく。うつらうつらとベッドで横になっていると、いつの間にか寝てしまった。


夕方過ぎ、辺りがもう真っ暗になったころ、ホテル近くのダイナーでご飯を食べた。ザッツアメリカン。地元民もツーリストも集まるいい店だった。メニューにはガツンと肉、肉、肉が並ぶ。ステーキの塊と炒めた肉の2種、それにチキンライスがどっさりと盛られたプレートと、巨大なクラブサンドを注文した。ビールはどういうわけかアサヒだった。そういえばテーブルには「YAMASA」と書かれた醤油が置かれていた。

理子は昼間の出来事のせいか、あまり料理を口にしようとしなかった。無理もないと思いつつ、僕はがっつりとそれらを食べる。旅先でカロリーを気にしてどうするのだと言い聞かせてズボンのベルトをこっそりと緩めるのだった。
店員は気さくに話しかけてくれ、特に玲さんをあやしてくれた。どっさり盛られた料理を、最初は食べきれないかと思ったけど、結局は全部食べきれた。


店を出る頃には理子の機嫌も直っていた。そして「明日は海に行くよ」と花さんと楽しそうに話をしている。旅はまだまだ始まったばかりだ。

2019年3月28日木曜日

旅の始まり

この世の中には、カードで支払いをすると、マイルというご褒美がもらえるシステムがあるらしい。旅好きである花さんがこれを知ってからは、錬金術士のごとくであった。家庭内における出費という出費はカードを通してされた。スーパーでのちょっとした買い物も、カードで行われた。
そしてある日こう言った。「グアムまで家族で行くぶんのマイルが貯まった」と。
まさに塵も積もればグアム旅行である。錬金術士の努力の賜物であった。

それからというもの、やはり我が家の本棚には、『グアム』とタイトルのついたガイドブックが並んだ。そして花さんはそれを家事の合間に楽しそうに眺めているのであった。または旅のブログ、特に子連れで旅をした人の体験記などを読みふけていた。
それをもとに、旅のしおりが練られ、PDFになって私のGmailに添付されて送られてくるのだ。

出発は平日の夜だった。18時に仕事を終え、僕はそのまま成田へ行くことになっている。花さん一人で、生後8ヶ月と4歳児を連れ、大きな旅行鞄を持って電車に乗るなど出来やしない。
鞄はどうするつもりなの?と僕は花さんに聞いた。すると花さんは「事前に鞄をクロネコヤマトにピックしてもらい、空港宛に送るの」と言った。抜かりない。
飛行機の出発は21時20分だった。花さんたちは帰宅ラッシュを避けるべく早めに出かけて行ったらしい。
僕はといえば、18時に完全に仕事を終わらせるべく、奮闘していた。『飛行機 間に合わない どうする』みたいな検索を昼休みにしてはいたけれど。

かくして無事に会社を脱出した。普段はてぶらで出社しているけれど、この日はリュックを持っていた。しかしだれもそんな様子を気にとめることはなかった。この日は気温もかなり高く、厚手の上着も必要ではなかった。南国に行くのにはかなりの大荷物になってしまうところだったから、助かった。

いつもは大江戸線に乗るところを、日比谷線に乗った。山手線に乗り換えようとすると、緊急停止ボタンが押されたとアナウンスがあった。こういうときに限って、ということでもない、もはや日常の異常の中、ホームは人で溢れかえっていた。
ようやく電車が到着し、乗り込んだ。サンドイッチの具のようにぺちゃんこになりながら僕は東京駅へと向かう。

駆け足で階段を降りて、成田空港行きのホームを目指した。特急券を買わなくてはいけないけれど、券売機には列ができていて諦めた。ホームにいくと、列車はすでに到着していた。同じように券を買えなかったであろう人が、駅員に話どうすれば良いのかを聞いていて、とりあえず乗って車内で支払いをしてくれと言われていたので僕もおとなしくデッキに立っていた。

英語圏ではない人が電話をずっとしていて、その声がやたらとうるさかったけど、「ああ、もうここから海外へ行くのが始まってるんだな」とぼんやりと思った。そして僕は松浦弥太郎の『場所はいつも旅先だった』を読みはじめた。



成田空港へと到着すると、花さんたちとの待ち合わせた場所へと向かった。彼女たちはすでに空港内でシャワーを浴び、玲さんも離乳食を食べ終わっていた。
理子はジェットキッズに乗っていた。子連れの海外旅行の友らしい。ずいぶん前に買っていたけれど、使うのは初めてだ。それに跨って足で蹴って前へ進んで行く。空港くらいの広々したところで使うには安心できる。周りには同じような家族づれがいて、色違いのそれに乗っている子もいれば、あれはなんぞ?と興味津々で見ている子もいた。

荷物を預け、出国手続きをしようとすると、長蛇の列ができていた。予定よりも早く着いていたはずなのに時間はあっという間に過ぎていく。やっと終わった頃には夕飯をゆっくりと食べることもできない時間になっていて、売店でホットドッグを買って機内で食べた。

以前はシートベルトをしたくないといって暴れていた理子は、おとなしく自らそれをしていたし、半年前はYouTube漬けでアディクトしていたけれど、もうそれもなかった。
座席にはモニターはなく、自分のiPhoneにアプリを入れて、それで閲覧するようになっていた。
飛行機内には、玲さんと同じくらい、または理子と同じくらいの子供たちがいっぱいいた。みんな考えることが一緒である。時差が1時間程度なので、夜中に出発して少しでも滞在時間を楽しもうというわけである。これで玲さんが泣き出しても、多少は大目に見てもらえそうだと胸をなでおろした。

離陸に向けてアナウンスがあり、ゆっくりと滑走路へと入っていく。昼間とは違って、ライトアップされたそれは、これからの旅をどこか幻想的なものにするショーアップのようだった。
離陸の瞬間に向けて理子には飴を舐めさせ、花さんは玲さんにこっそり授乳していた。飛行機は速度を速め、次第に機体は空へ向けて傾き地面を離れた。空には大きな月が丸く、煌々と光っていた。