2013年2月24日日曜日
2013年2月21日木曜日
準備
仕事帰りに寄ったスーパーマーケットでブリが3切れで300円だった。
頭の中で、その3切れを袋に入れて、醤油、みりん、酒に漬けていてる。
白菜が120円だった。
頭の中で、ざくざくと切って、もやしとともにさっと茹でて、シーチキンと和え、
めんつゆをさっとかける。
自宅の冷蔵庫にトマトがある。
頭の中で、それを切って塩をさっと振りかける。
スーパーでブリ、白菜を買って家に帰る。
片手にスーパーの袋。片手にトートバッグを持っている。
手袋をしていないので冷たい風が容赦なく指先の感覚を奪って行く。
家に着くと、暗がりの中、手探りで玄関の明かりのスイッチをつける。
スイッチをオンにすると、ぼんやりと明るくなる。
荷物を下ろすと、ガスストーブのスイッチをつける。
青い炎が円を描いて部屋を暖めてくれる。
台所に立つと、イメージ通り、袋にブリを入れ、醤油とみりんと酒を調合し
それも袋に入れる。軽く揉むようにしてから、しばらく漬けておく。
お米を3合計り、水でといで炊飯のスイッチを押す。
イメージ通り、白菜をザクザクと切り、鍋に塩を軽くふってから茹でる。
もやしも茹でて、ザルにあげる。
シーチキンの油をきって、それらと混ぜる。
軽く塩こしょうをふり、めんつゆをさっとかける。
冷蔵庫に入っていたトマトを食べやすい大きさに切る。
塩をさっとふる。
それぞれをよそる皿を用意する。
炊飯器からは炊きあがりを知らせるアラームが鳴る。
ふたをあけると白い湯気が一気に立ち上って、米がたっている。
しゃもじでかき混ぜると、またふたを閉じる。
hanaからもう少しで家に着く、という連絡が入る。
醤油につけたブリをグリルに入れると、しばらくして醤油の焦げる匂いがする。
頃合いを見計らってブリをひっくり返す。
白菜も、トマトも皿によそった。
あとは来るべき人がきて、本日の食卓が完成する。
まだかな。もう少しかな。
部屋は暖かく、準備はできている。
頭の中で、その3切れを袋に入れて、醤油、みりん、酒に漬けていてる。
白菜が120円だった。
頭の中で、ざくざくと切って、もやしとともにさっと茹でて、シーチキンと和え、
めんつゆをさっとかける。
自宅の冷蔵庫にトマトがある。
頭の中で、それを切って塩をさっと振りかける。
スーパーでブリ、白菜を買って家に帰る。
片手にスーパーの袋。片手にトートバッグを持っている。
手袋をしていないので冷たい風が容赦なく指先の感覚を奪って行く。
家に着くと、暗がりの中、手探りで玄関の明かりのスイッチをつける。
スイッチをオンにすると、ぼんやりと明るくなる。
荷物を下ろすと、ガスストーブのスイッチをつける。
青い炎が円を描いて部屋を暖めてくれる。
台所に立つと、イメージ通り、袋にブリを入れ、醤油とみりんと酒を調合し
それも袋に入れる。軽く揉むようにしてから、しばらく漬けておく。
お米を3合計り、水でといで炊飯のスイッチを押す。
イメージ通り、白菜をザクザクと切り、鍋に塩を軽くふってから茹でる。
もやしも茹でて、ザルにあげる。
シーチキンの油をきって、それらと混ぜる。
軽く塩こしょうをふり、めんつゆをさっとかける。
冷蔵庫に入っていたトマトを食べやすい大きさに切る。
塩をさっとふる。
それぞれをよそる皿を用意する。
炊飯器からは炊きあがりを知らせるアラームが鳴る。
ふたをあけると白い湯気が一気に立ち上って、米がたっている。
しゃもじでかき混ぜると、またふたを閉じる。
hanaからもう少しで家に着く、という連絡が入る。
醤油につけたブリをグリルに入れると、しばらくして醤油の焦げる匂いがする。
頃合いを見計らってブリをひっくり返す。
白菜も、トマトも皿によそった。
あとは来るべき人がきて、本日の食卓が完成する。
まだかな。もう少しかな。
部屋は暖かく、準備はできている。
2013年2月20日水曜日
食事
初めて入る飲食店というのがあるけれど、
入るにあたって判断材料はなにになるのか。
単純に店構えであったり、店頭に張り出されたメニューだったり。
人それぞれキャッチになる部分はあると思う。
今日会社のみんなで食べに行ったランチは、初めて入る店だった。
その場所は、僕たちが白金台に引っ越してきた2年も満たない間に、
3回も店舗が変わっていた。
最初はインドカレー。その次は、蕎麦屋。そして今回の串揚げ屋だ。
インドカレーからそば屋に転身したときは、
店員が同じインド人だったから驚いた。
駅に近く、近辺に飲食店も少ないので、立地が悪い訳ではない。
ちなみにこの店の近くには、小泉元総理大臣もお忍びで通っていたという居酒屋がある。
(今日本当はこの店に行こうとしたのだけど、のれんがでていなかった。)
この店の前には電子看板にメニューが映し出されていて
とにかく一度お入りください。といっている。
雪も吹きすさぶ寒さだったということもあり、店に入ってみる事にした。
店内はお客さんが結構入っていた。
一番奥の席に通されると、メニューを渡された。
そこには右半分に、串揚げや揚げ物、左半分には中華料理のメニューが並んでいた。
天の邪鬼な僕は、串揚げ屋と書かれている店にも関わらず
担々麺とミニチャーハンを発注した。
他の三人は揚げ物や、ラーメンを注文した。
僕は飲食の接客業というものをした事がないので常識的なところは分からないのだけど
基本というものはあると思う。
例えば、お盆にご飯、おかず、みそ汁、お箸が並んでいたら、
お箸が客の手前に来て然るべきだし、
汁物をこぼすなどは最もしてはいけないことのうちのひとつだろう。
果たしてここの店員のおばちゃんは、お盆の置き方も逆だし、汁物をこぼした。
そして肝心な味はと言えば、そういった接客を具現化したような味だった。
なんというか上辺だけの味で、丁寧でない感じ。
担々麺ってこんな味だったかな、と疑問符が頭に浮かんだ。
ミニチャーハンはおいしかった。自分で作ったみたいだ。
他の3人も、黙々と食べていて、会話がまるでなかった。
店を出ると、しばらくして、誰かが「あそこは最初で最後だ」と言った。
値段が決して安い訳ではないので、腑に落ちていない様子。
最近、同じ値段で、すごくおいしいランチを出してくれる店を見つけた。
接客にも美学を感じるし、料理もすごく丁寧だ。
自然にみんなの顔がほころぶし、店を出るときも、
「またきますね」の一言が自然と出てくる。
少し店員さんがどや顔をして送り出してくれるのだけど、納得のどやである。
素材の時点では平等なのに
人の手が加わった途端、その人の技量によっておいしくも、そうでなくもなる。
デザインも一緒だなと。
写真という素材を活かすも殺すもデザイナー次第。
文字を美しく読ませるも、読みにくくするもデザイナーの詰めかた次第。
人のふり見て我がふり直せ。
引き締めていきたいものである。
入るにあたって判断材料はなにになるのか。
単純に店構えであったり、店頭に張り出されたメニューだったり。
人それぞれキャッチになる部分はあると思う。
今日会社のみんなで食べに行ったランチは、初めて入る店だった。
その場所は、僕たちが白金台に引っ越してきた2年も満たない間に、
3回も店舗が変わっていた。
最初はインドカレー。その次は、蕎麦屋。そして今回の串揚げ屋だ。
インドカレーからそば屋に転身したときは、
店員が同じインド人だったから驚いた。
駅に近く、近辺に飲食店も少ないので、立地が悪い訳ではない。
ちなみにこの店の近くには、小泉元総理大臣もお忍びで通っていたという居酒屋がある。
(今日本当はこの店に行こうとしたのだけど、のれんがでていなかった。)
この店の前には電子看板にメニューが映し出されていて
とにかく一度お入りください。といっている。
雪も吹きすさぶ寒さだったということもあり、店に入ってみる事にした。
店内はお客さんが結構入っていた。
一番奥の席に通されると、メニューを渡された。
そこには右半分に、串揚げや揚げ物、左半分には中華料理のメニューが並んでいた。
天の邪鬼な僕は、串揚げ屋と書かれている店にも関わらず
担々麺とミニチャーハンを発注した。
他の三人は揚げ物や、ラーメンを注文した。
僕は飲食の接客業というものをした事がないので常識的なところは分からないのだけど
基本というものはあると思う。
例えば、お盆にご飯、おかず、みそ汁、お箸が並んでいたら、
お箸が客の手前に来て然るべきだし、
汁物をこぼすなどは最もしてはいけないことのうちのひとつだろう。
果たしてここの店員のおばちゃんは、お盆の置き方も逆だし、汁物をこぼした。
そして肝心な味はと言えば、そういった接客を具現化したような味だった。
なんというか上辺だけの味で、丁寧でない感じ。
担々麺ってこんな味だったかな、と疑問符が頭に浮かんだ。
ミニチャーハンはおいしかった。自分で作ったみたいだ。
他の3人も、黙々と食べていて、会話がまるでなかった。
店を出ると、しばらくして、誰かが「あそこは最初で最後だ」と言った。
値段が決して安い訳ではないので、腑に落ちていない様子。
最近、同じ値段で、すごくおいしいランチを出してくれる店を見つけた。
接客にも美学を感じるし、料理もすごく丁寧だ。
自然にみんなの顔がほころぶし、店を出るときも、
「またきますね」の一言が自然と出てくる。
少し店員さんがどや顔をして送り出してくれるのだけど、納得のどやである。
素材の時点では平等なのに
人の手が加わった途端、その人の技量によっておいしくも、そうでなくもなる。
デザインも一緒だなと。
写真という素材を活かすも殺すもデザイナー次第。
文字を美しく読ませるも、読みにくくするもデザイナーの詰めかた次第。
人のふり見て我がふり直せ。
引き締めていきたいものである。
2013年2月19日火曜日
18日
先週の土曜、hanaが髪を切りに下北の美容室nikkiへと行った。
僕は髪を切る予定がないのだけど、付き添っていくことが常だ。
逆に僕が髪を切りに行くときは、hanaが付き添う。
この日はhanaが先にnikkiへと行き、僕は一人で古着屋を少し回る事にした。
filmという古着屋では、服よりも、棚に陳列されていた
ヘルムートニュートンのポートフォリオを集めた写真集に興味がいってしまい、
値段を聞いてみるがそれはディスプレイの一部だった。
一気に興味を失ってしまった僕は、nikkiへと足を運んだ。
すると、hanaはまだ髪を切っていなかった。
どうやら話に花を咲かせてしまっていたらしい。
店に着くなり笑い声が響き、本日の生け贄が献上されていた。
鏡の中のhanaはだんだんと髪が短くなっていく。
時折よしぐちさんは、僕の方を振り返り話しかける。
しかしはさみは動いている。
後頭部にも目がついているかのようだった。
髪を切り終えたあと、お気に入りの写真集だといって、
アービングペンのPASSAGEを取り出し一緒に見出した。
いいものを見ながら話しかけるよしぐちさんの顔は優しい。
8時から豪徳寺のピコンバーを予約していた僕らは、
その時間になってnikkiを後にした。
ピコンバーは駅近くの路地に、ひっそりと佇むカフェバーである。
ヨーロッパのどこかの国をイメージソースとしているのだろうけど、
果たしてBGMはエンヤだった。
ビールで乾杯し、それぞれが気になったメニューを一通り選ぶ。
食事に出かけると口数が少なくなる僕。
しかし今回の食事は僕の誕生日のお祝いであった。
ゆっくりと食事をし、酒を飲んだ。
後ろの席では女の人がいきなり泣き出していた。
食事が進んで行くと、ワインメニューを手に取った。
すると見慣れた「エストエストエスト」の文字。
イタリアに行った時、そういった名前のレストランで食事をした。
それ以来、どこかでこの字面を見てしまうと条件反射的に注文してしまうのであった。
とてもおいしい料理をたいらげると、店を後にした。
友人がこっそりと働いているとあるバーに行くと、
既に他の友人たちがカウンターを陣取っていた。
hanaは時既に限界を迎えていたようで、店に着くとウーロン茶を注文していた。
カウンターの目の前に取り付けられていたモニターには
スプラッター映画が無声で流れていた。
終電でキレイに帰宅する友人。
終電を気にせず飲む酒飲み。
腰を据えて飲むのは久々という事も合って、
思い出話や今の話をした。
同じ時間を過ごしているのに、出会う人たちはそれぞれで、
だれかにときめいて、誰かに傷ついて、
喜んで悲しんでいた。
会話の中で、最近は日記書いてないのか?という話になって、
29歳になったことをきっかけにしてまた書き始めればいいのにということをいわれたので
久々にモニターに向かって文章を書いている。
すっかり文章の勘が鈍っている。
これを書いているのは2月19日の深夜だ。
hanaが帰ってきた。
キリがいいのでこの辺でシャットアウト。
僕は髪を切る予定がないのだけど、付き添っていくことが常だ。
逆に僕が髪を切りに行くときは、hanaが付き添う。
この日はhanaが先にnikkiへと行き、僕は一人で古着屋を少し回る事にした。
filmという古着屋では、服よりも、棚に陳列されていた
ヘルムートニュートンのポートフォリオを集めた写真集に興味がいってしまい、
値段を聞いてみるがそれはディスプレイの一部だった。
一気に興味を失ってしまった僕は、nikkiへと足を運んだ。
すると、hanaはまだ髪を切っていなかった。
どうやら話に花を咲かせてしまっていたらしい。
店に着くなり笑い声が響き、本日の生け贄が献上されていた。
鏡の中のhanaはだんだんと髪が短くなっていく。
時折よしぐちさんは、僕の方を振り返り話しかける。
しかしはさみは動いている。
後頭部にも目がついているかのようだった。
髪を切り終えたあと、お気に入りの写真集だといって、
アービングペンのPASSAGEを取り出し一緒に見出した。
いいものを見ながら話しかけるよしぐちさんの顔は優しい。
8時から豪徳寺のピコンバーを予約していた僕らは、
その時間になってnikkiを後にした。
ピコンバーは駅近くの路地に、ひっそりと佇むカフェバーである。
ヨーロッパのどこかの国をイメージソースとしているのだろうけど、
果たしてBGMはエンヤだった。
ビールで乾杯し、それぞれが気になったメニューを一通り選ぶ。
食事に出かけると口数が少なくなる僕。
しかし今回の食事は僕の誕生日のお祝いであった。
ゆっくりと食事をし、酒を飲んだ。
後ろの席では女の人がいきなり泣き出していた。
食事が進んで行くと、ワインメニューを手に取った。
すると見慣れた「エストエストエスト」の文字。
イタリアに行った時、そういった名前のレストランで食事をした。
それ以来、どこかでこの字面を見てしまうと条件反射的に注文してしまうのであった。
とてもおいしい料理をたいらげると、店を後にした。
友人がこっそりと働いているとあるバーに行くと、
既に他の友人たちがカウンターを陣取っていた。
hanaは時既に限界を迎えていたようで、店に着くとウーロン茶を注文していた。
カウンターの目の前に取り付けられていたモニターには
スプラッター映画が無声で流れていた。
終電でキレイに帰宅する友人。
終電を気にせず飲む酒飲み。
腰を据えて飲むのは久々という事も合って、
思い出話や今の話をした。
同じ時間を過ごしているのに、出会う人たちはそれぞれで、
だれかにときめいて、誰かに傷ついて、
喜んで悲しんでいた。
会話の中で、最近は日記書いてないのか?という話になって、
29歳になったことをきっかけにしてまた書き始めればいいのにということをいわれたので
久々にモニターに向かって文章を書いている。
すっかり文章の勘が鈍っている。
これを書いているのは2月19日の深夜だ。
hanaが帰ってきた。
キリがいいのでこの辺でシャットアウト。
TC1
フィルムカメラを使い始めてから、
ここぞというところで撮るようになった。
以前のGRDはとにかく撮りまくるというスタイルであった。
一球入魂
ワンシャッター入魂である。
荒れブレ、ゴミもつきまくっているけれどご愛嬌。
去年の盆から、冬まで、フィルムの現像をしていなかったので
一挙に。
今週末にはトルコ旅行の残りの現像が上がってくる。
これもまたご愛嬌。
2012年8月30日木曜日
last day
旅が日常と違うことは、終わりがあるということだ。
トルコの旅も最終日を迎えた。
シャワーを浴び、身支度を整え、荷物を整理する。
旅の途中からはメッセンジャーバッグは使わなくなり小さな手提げバッグのみだった。
旅に慣れると荷物がミニマムになっていくようだ。
日本人の精神に乗っ取り、立つ鳥跡を濁さず。ゴミをまとめベッドのシーツなどを直す。
ホテルの食堂で朝食を食べる。
隣の複数のテーブルには日本人の観光客の姿があった。
どうやらツアーでこのホテルに宿泊しているらしい。
そのほかには、外国人の老夫婦が新聞を広げている姿がある。長い間宿泊している様子だった。
一度部屋に戻り、荷物をロビーに預けチェックアウトをした。
2、3日でイスタンブールのすべてを回ることはむずかしいが
最後に行っておきたいところに行くことにした。
エジプシャンバザールは、グランドバザールと違って食品を多く扱っていた。
ここでも陽気なトルコ人たちがあの手この手で、我々に声をかけてきた。
しばらく歩いていると、えどまっちゃんの店と書かれた土産物屋があった。
そこにはGLAYのTAKUROやサッカー選手の稲本などの写真とサインが飾られ
日本人に対して友好ですよ、とアピールされていた。
果たして、やはり日本語を話すことの出来る店員がおり、僕たちはまたたくまに店の地下へと案内された。
地下では所狭しと陶器が並んでおり、サイズや柄も豊富だった。
お土産をまったく購入していなかったので、この店でまとめて探すことにした。
一人一人の顔を思い浮かべながら、一通り選び終えると、
店員は、達者な日本語でトルコ石のうんちくを語り始めた。
「ここで買わなくても、いずれ買うとしたら知っておいた方が良いですよ」と彼は言った。
トルコ石には大きく分けて3タイプあり、
天然のもの、アンティークのもの、合成ものがある。
彼はそれを一つ一つ丁寧に説明してくれた。
母親にいいものをプレゼントしようと思っていた僕は、
天然のトルコ石を使ったイヤリングを買った。
「そんなに早く決めて大丈夫?」と彼は言ったが
僕には迷いもなく、それに決めた。時間をかければいいということでもないだろう。
彼はここぞとばかりに物腰柔らかく次の商品を売り始めた。
からすみである。
さりげなく試食をさせ、飲み物まで提供する。
ホスピタリティとは違うのだろうけど、なかなかに親切である。
「お酒のおつまみにいいですヨ」
と東京の王子に在住していた際に身につけたディープな日本語で、我々の財布のひもを緩めさせる。
結局、トルコ石、ハンドメイドの陶器類、からすみを購入した。
その後、兄弟がやっているというお店にも案内されたけれど、
冷やかすだけにとどまった。
店を出ると、一通りバザール内を回って、外に出た。
イスタンブールでの楽しみなことの一つに、サバサンドを食べることがあった。
少し甘みのある味付けをして焼いたサバを、
シャキシャキのたまねぎなどと一緒にパンにはさんで食べるもので、テレビ番組でも紹介されていた。
フェリー乗り場の方へ向かうと、フェイクなクラシック感がただよう船の上で
サバが山積みにされ、ひたすらに店員がパンにそれを挟んでいた。
どうしてそれを船の上で作っているのか、謎ではあった。
サバサンドを作る人と、客からの注文を受けて作る人、
それぞれが海の上で対応しているわけで、どんぶらこと揺れ続けているのであった。
体幹が鍛えられるんだろうな、などと思いながら僕たちはそれを注文した。
屋外に並べられたテーブルに座っていると、子供たちがティッシュを売りにきた。
彼らにとっては生きるすべなのだろうが、断った。
中には強者がいて、いらないと言ってもテーブルに置いていくという技を使っていた。
客のなかには、(特にフランス人っぽいのだけど)露骨に嫌な顔をして
鬱陶しそうに追い払っていた。
そんななかでも、仕組みというものが存在するらしく、
ゴミ掃除をする店員と、その子供たちが絶妙に協力しあっていたり
なんとも不思議な光景だった。
肝心なサバサンドの味はというと、日本風のいわゆるサバであり、
日本で流通させても流行るのではないかと思った。
その後、ホテル付近の土産物屋を物色し、ガラスでできたランプを二つ購入した。
もはやトルコリラの大処分である。
ホテルへ戻ると荷物をピックアップし、空港まで送ってもらった。
来た時とは逆の流れで景色を眺める。
海辺の芝の上では家族が手をつなぎ歩いている。
ゆるりと流れる時間のなかを僕たちは逆走していく。
空港につくと、荷物検査を通って中へと入る。
日本では手荷物検査でフィルムをハンドチェックしてもらっていたのだけど、
もはやトルコの人にはなにを言っても通じない。
ハンドチェックプリーズと言っても無言で赤外線チェックのベルトコンベアーに載せられてしまった。
トルコ空港のチェックインカウンターで手続きを済ませると、
アイリッシュバーでビールを飲んだ。
ここでもエフェスビールは美味しい。
長かったような、短いような、思い出を反芻する。
僕にとっては、片時も離れる事なく1週間一緒だったという事自体が素晴らしい時間であった。
搭乗の時間となって、機内に乗り込むと、また12時間のフライトが始まった。
僕はなぜかなかなか眠ることができず、3本も映画を見てしまった。
隣ではHANAがトルコのガイドブックを読み直していた。
なんともかわいらしい姿だった。まだまだ楽しみたかったのだと思う。
果たして飛行機は無事に我々を日本へと運んだ。
飛行機を降り、荷物をピックアップする間、母親に電話をし、無事に帰国したことを伝えた。
都内へ戻るバスで家の近くまで行くのはウェスティンホテル行きだった。
その手配をし、外に出ると日本特有の湿度の高い世界が僕たちを待っていた。
しかし思いのほか暑くはなかった。バスには数組しか乗車しなかった。
ウェスティンホテルにつくと、タクシーで家まで帰った。
家に着いた頃には、僕の眠気もマックスに達しており、
ラーメンを食べに行こうなどと言っていたのにベッドに突っ伏してしまった。
旅が終わると日常が待っている。
住み慣れた家、使い慣れた家具。
旅に出る前と、帰ってきてからの我々を包む空気は、
同じように見えて少し変わったかもしれない。
見た目ではわからない部分で、静かに鼓動を始める。
これからは旅にも似た日常を送ろう
トルコの旅も最終日を迎えた。
シャワーを浴び、身支度を整え、荷物を整理する。
旅の途中からはメッセンジャーバッグは使わなくなり小さな手提げバッグのみだった。
旅に慣れると荷物がミニマムになっていくようだ。
日本人の精神に乗っ取り、立つ鳥跡を濁さず。ゴミをまとめベッドのシーツなどを直す。
ホテルの食堂で朝食を食べる。
隣の複数のテーブルには日本人の観光客の姿があった。
どうやらツアーでこのホテルに宿泊しているらしい。
そのほかには、外国人の老夫婦が新聞を広げている姿がある。長い間宿泊している様子だった。
一度部屋に戻り、荷物をロビーに預けチェックアウトをした。
2、3日でイスタンブールのすべてを回ることはむずかしいが
最後に行っておきたいところに行くことにした。
エジプシャンバザールは、グランドバザールと違って食品を多く扱っていた。
ここでも陽気なトルコ人たちがあの手この手で、我々に声をかけてきた。
しばらく歩いていると、えどまっちゃんの店と書かれた土産物屋があった。
そこにはGLAYのTAKUROやサッカー選手の稲本などの写真とサインが飾られ
日本人に対して友好ですよ、とアピールされていた。
果たして、やはり日本語を話すことの出来る店員がおり、僕たちはまたたくまに店の地下へと案内された。
地下では所狭しと陶器が並んでおり、サイズや柄も豊富だった。
お土産をまったく購入していなかったので、この店でまとめて探すことにした。
一人一人の顔を思い浮かべながら、一通り選び終えると、
店員は、達者な日本語でトルコ石のうんちくを語り始めた。
「ここで買わなくても、いずれ買うとしたら知っておいた方が良いですよ」と彼は言った。
トルコ石には大きく分けて3タイプあり、
天然のもの、アンティークのもの、合成ものがある。
彼はそれを一つ一つ丁寧に説明してくれた。
母親にいいものをプレゼントしようと思っていた僕は、
天然のトルコ石を使ったイヤリングを買った。
「そんなに早く決めて大丈夫?」と彼は言ったが
僕には迷いもなく、それに決めた。時間をかければいいということでもないだろう。
彼はここぞとばかりに物腰柔らかく次の商品を売り始めた。
からすみである。
さりげなく試食をさせ、飲み物まで提供する。
ホスピタリティとは違うのだろうけど、なかなかに親切である。
「お酒のおつまみにいいですヨ」
と東京の王子に在住していた際に身につけたディープな日本語で、我々の財布のひもを緩めさせる。
結局、トルコ石、ハンドメイドの陶器類、からすみを購入した。
その後、兄弟がやっているというお店にも案内されたけれど、
冷やかすだけにとどまった。
店を出ると、一通りバザール内を回って、外に出た。
イスタンブールでの楽しみなことの一つに、サバサンドを食べることがあった。
少し甘みのある味付けをして焼いたサバを、
シャキシャキのたまねぎなどと一緒にパンにはさんで食べるもので、テレビ番組でも紹介されていた。
フェリー乗り場の方へ向かうと、フェイクなクラシック感がただよう船の上で
サバが山積みにされ、ひたすらに店員がパンにそれを挟んでいた。
どうしてそれを船の上で作っているのか、謎ではあった。
サバサンドを作る人と、客からの注文を受けて作る人、
それぞれが海の上で対応しているわけで、どんぶらこと揺れ続けているのであった。
体幹が鍛えられるんだろうな、などと思いながら僕たちはそれを注文した。
屋外に並べられたテーブルに座っていると、子供たちがティッシュを売りにきた。
彼らにとっては生きるすべなのだろうが、断った。
中には強者がいて、いらないと言ってもテーブルに置いていくという技を使っていた。
客のなかには、(特にフランス人っぽいのだけど)露骨に嫌な顔をして
鬱陶しそうに追い払っていた。
そんななかでも、仕組みというものが存在するらしく、
ゴミ掃除をする店員と、その子供たちが絶妙に協力しあっていたり
なんとも不思議な光景だった。
肝心なサバサンドの味はというと、日本風のいわゆるサバであり、
日本で流通させても流行るのではないかと思った。
その後、ホテル付近の土産物屋を物色し、ガラスでできたランプを二つ購入した。
もはやトルコリラの大処分である。
ホテルへ戻ると荷物をピックアップし、空港まで送ってもらった。
来た時とは逆の流れで景色を眺める。
海辺の芝の上では家族が手をつなぎ歩いている。
ゆるりと流れる時間のなかを僕たちは逆走していく。
空港につくと、荷物検査を通って中へと入る。
日本では手荷物検査でフィルムをハンドチェックしてもらっていたのだけど、
もはやトルコの人にはなにを言っても通じない。
ハンドチェックプリーズと言っても無言で赤外線チェックのベルトコンベアーに載せられてしまった。
トルコ空港のチェックインカウンターで手続きを済ませると、
アイリッシュバーでビールを飲んだ。
ここでもエフェスビールは美味しい。
長かったような、短いような、思い出を反芻する。
僕にとっては、片時も離れる事なく1週間一緒だったという事自体が素晴らしい時間であった。
搭乗の時間となって、機内に乗り込むと、また12時間のフライトが始まった。
僕はなぜかなかなか眠ることができず、3本も映画を見てしまった。
隣ではHANAがトルコのガイドブックを読み直していた。
なんともかわいらしい姿だった。まだまだ楽しみたかったのだと思う。
果たして飛行機は無事に我々を日本へと運んだ。
飛行機を降り、荷物をピックアップする間、母親に電話をし、無事に帰国したことを伝えた。
都内へ戻るバスで家の近くまで行くのはウェスティンホテル行きだった。
その手配をし、外に出ると日本特有の湿度の高い世界が僕たちを待っていた。
しかし思いのほか暑くはなかった。バスには数組しか乗車しなかった。
ウェスティンホテルにつくと、タクシーで家まで帰った。
家に着いた頃には、僕の眠気もマックスに達しており、
ラーメンを食べに行こうなどと言っていたのにベッドに突っ伏してしまった。
旅が終わると日常が待っている。
住み慣れた家、使い慣れた家具。
旅に出る前と、帰ってきてからの我々を包む空気は、
同じように見えて少し変わったかもしれない。
見た目ではわからない部分で、静かに鼓動を始める。
これからは旅にも似た日常を送ろう
2012年8月16日木曜日
7th day
世界の観光地として、イスタンブールが高いランクに位置している理由はいくつかあるのだろうけど、実際に訪れてみて思ったのは、町中にある歴史的建造物が多くあるなかで、適度に近代化され、ツーリトを受け入れる体制が、ホスピタリティが備わっていること。そしてまた、トルコ人たちの明るさに他ならないと思う。
トルコは自給率が100%とも言われている。
広大な土地に加えて、海もある。
また、政教分離を取り入れているという事から、イスラム教国でありつつ、適度に自由な部分があるようである。
国の豊かさが、人の表情に現れている。
微笑みの国はタイかもしれないけれど、トルコもなかなかである。
イスタンブールの魅力はモスクなどの歴史的建造物ばかりではない。
若者が集う町もある。
新市街と呼ばれるそのエリアでは、オールドスクールなトラムが路面を走っている。
イスティクラール通りには、欧米のアパレルショップや、デパート、おしゃれなカフェなどがいっぱい並んでいた。
僕は靴屋に入って、みた事のないニューバランスの型を見て興奮したり、
老舗のロクムの店で乙女と化していた。
しかしながら、原因不明の腹痛に見舞われていて、
デパートでトイレに行ったり、デパートでトイレに行ったり、した。
町を歩いていて気になったのはグラフで、ところどころにペインティングがされていた。
この一帯はアーティストが集まる場所らしく、張られているポスターもどこか洒落ていた。
通りを下って行くと、ガラタ塔と呼ばれる町のランドマーク的な建物があった。
入場料を払って頂上まで行くと、イスタンブールの町を360度見渡せた。
高いところから町を見下ろすと、数多くのモスクがあることが改めて良く分かった。
塔を降りた所にあるちょっとした広場で休んでいると、
人懐っこい子猫が、僕の足の上に乗ってきた。
遊んでくれと言わんばかりにツンツンしてくる姿がなんとも愛らしい。
そんな僕たちの姿を見た一人旅らしき青年が、
僕の側に座っておこぼれを頂戴するかのようにその猫に求愛の視線を送り手を差し伸べていた。
しかしその愛は届かなかったらしく、子猫はどこかへ駆け出して行ってしまった。
一旦ホテルに戻り休憩をしてから、トプカプ宮殿へと向かった。
旅のお供、地球の歩き方によると、オスマン朝の支配者の居城とのこと。
そこにはハレムと呼ばれる場所がある。
読んで字のごとく、王様が女性を囲っておくところだ。
しかしながらイスラムの掟によって、王様は直接女性と顔を合わす事はなかったらしい。
どことなく優しい色使い。繊細な模様。
窓枠一つ、壁一つとっても、どれもかわいらしく、素晴らしかった。
豪華絢爛で、均整がとれているなかにもどこか不揃いな部分も有り、人のぬくもりを感じた。
ハレムをでて、芝のある広場に行くと、欧米人たちがめいめいの格好でくつろいでいる。
カップルで芝生に寝転がりながら、本を読んでいたり、股に手を添えたりしていた。
僕たちも欧米人に習って芝生に寝転がり、空を眺めてみた。
空が青い。トルコ人はこんなにきれいな青空を見ていたから、きれいな青いタイルをつくることが出来たんだと思った。
すっかり浸っていると、警備員の人に寝転がるのをやめなさいと注意される。
向こうにいる欧米人はいいのか?といぶかりながらそこを後にした。
時刻は7時を過ぎた。
アジアサイドに行くべく、フェリー乗り場へと向かう。
ツーリストや地元民でごった返している。
僕たちはフェリーの最後尾に陣取って、沈みつつある太陽を眺めていた。
カモメがエサを求めてフェリーの後を追ってくる。
近くにいた子供がパンをちぎって空高く投げた。
カモメはうまいことそれをくちばしでとらえると、満足げに羽を広げ遠くへ飛んで行った。そんな姿を子供の両親は肩を組んで微笑みながら見ていた。
アジアサイドにつくと、しばらくベンチに座って通り行く人たちを眺めた。
日が暮れていく。
僕たちにとって最後のトルコの夜だ。
これまでの旅行の思い出を二人で語り合う。
カッパドキアの衝撃。気球から見た圧倒的な景色。
パムッカレの神秘的な白い世界。
荘厳なビザンツ建築。
魅力が溢れた国だった。
ふと広場に掲げられた巨大なトルコの国旗が目に入る。
赤い地に、星と月が形取られている。
よくよく見ればなんともロマンチックな国旗だ。
(しかしながら調べてみると、どうやら血の赤らしい)
夕飯を取ろうと、町を歩く。
至る所に猫がいる。
どうやら、町の人が餌付けをしているらしい。
魚屋の排水溝の中から子猫が何匹も出てきて親猫とじゃれ合っていた。
屋根にいる猫に向かって肉のかたまりを投げている女性もいた。
カモメがするどい目つきでその肉を狙ってもいた。
アジアサイドはヨーロッパサイドに比べて客引きがしつこかった。
そしてまた、ホームレスの姿が目についた。
こどもがティッシュを売りにきたり、物乞いをしている。
豊かそうに見える側面では、そのような現実もあった。
一通り歩いて、適当な店に入ってみたが、メニューに英語表記がなく読み解く事が出来なかった。
苦肉の策として、地球の歩き方に載っていた写真を見せて、照らし合わせるという荒技に出た。
声のでかい店のマスターはなんとか理解してくれて、厨房に発注した。
そのあとはなんとなく注文するのが億劫になってしまい、食べ物もそこそこに店を出た。
フェリー乗り場へと戻り、チケットを買おうと券売機にお金を入れるが全く反応しなかった。
軽いパニック状態になっていると、トルコ人のカップルが手助けをしてくれ、
係員を呼んでくれた。
笑顔だけ残して彼らは行ってしまったけど、トルコでは何気ないこういった優しさに
何度も触れる事が出来た。
フェリーに乗って再びヨーロッパサイドへ戻る。
路面電車を使いホテル付近まで行くと、ラマダンが始まったことを祝うためのイベントが行われていた。
ブルーモスク付近では日本のお祭りのように屋台が100メートル以上も並び、にぎわっていた。
一通り眺めてからホテルに戻った。
トルコ最後の夜が終わった。
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