2025年8月3日日曜日

「話は聞かせてもらった」

 石垣島滞在3日目の朝、あることに気がつく。この街は陽の昇る時間が東京とは異なることだった。5時すぎに目を覚ましてもまだ窓の外の景色は暗かった。

なんとなく早朝にホテルの周りを走ることができたらいいなと思っていた。

しかし天気が悪いということとは違って、まだ純粋に外が暗い。陽が昇ってない暗さである。

朝のぼけっとした頭のなかでは、ブルーハーブのリリックの一節が流れていた。

「北から日が昇ることに慣れてないお前たちは~」

ちょっと意味合いは違うけど、その土地においての当たり前は、自然のサイクル自体が他の地とは異なるということだ。


ぼんやりとしたスマホの灯りが視界の片隅にあった。どうやら花さんも起きているらしい。そのうちお互いが起きていることが気配でわかり夫婦の会話が始まる、今日をどのように過ごすのかが議題だ。

この日は石垣島を離れて西表島に移動する日だった。

台風が接近している影響があったのはこの部分だったが、予定していた上原港行きは欠航してしまっていた。大原港行きは午後だったが運行しているとのこと。

行く手段がないという最悪の事態は免れたわけなので、時間はずれ込んでしまうけれど大原港から西表島に行くことにした。

それまでの間どうするか、中途半端に空いてしまった時間をどうやって過ごすかを話し合い、ホテルから出ないでプールで過ごそうということになった。子供たちもそれが喜ぶんじゃないか、と。


「話は聞かせてもらった」


不意に聞こえたこの台詞。え?と思ったら理子が起きていてずっと我々の話を聞いていたらしい。

会話に加わるべきタイミングがベストで面白かった。なかなか人生において「話はきかせてもらった」なんてワードをいう機会はないだろう。刑事ドラマでもみたことあったのか?花さんも僕も大爆笑だった。

後日談であるがこのことをスレッズに書いたところ232いいねがつくという僕の投稿の割にはプチバズりしたのだった。


なにはともあれ予定は決まった。

食事を済ませて移動の支度をする。部屋に備え付けられているメモ書きに理子と玲はそれぞれコメントを書いていた。いつからか我が家の伝統と化したそれにはそれぞれ感謝を述べている。

THANK YOU BERRY MUCH!

スペルミスもかわいいものである。言いたいことはわかる。


あーとほてるたのしかったです。またきます。ありがとうございます。

と玲は書いていた。



部屋を出ると荷物をフロントに預けてプールに移動した。

ただの四角いプールだけど楽しい時間を過ごさせてもらった。ありがたいことである。

もう十分、というところでプールからあがり、水着を脱水にかけ、浮き輪も空気を抜いて仕舞った。


タクシーでフェリー乗り場へ移動し、売店で食べ物を買う。

僕は小さめのお寿司セットを買った。薄い卵焼きでご飯が巻かれていて美味しかった。

花さんは袋に入ったご飯のうえに、鳥のささみ揚げが乗っているという食べ物を選んでいた。

いろんなご当地食べ物があるようだ。


定刻になりフェリーに乗り込む。なんとなく前の方に乗ってしまったのだけど、フェリーにおいては中央よりも後側、もっと言えば優先席付近が揺れにくいらしい。

大原港に到着すると雨は小降りだった。降りてすぐ近くのところに大型の星野リゾートの送迎バスが停まっていた。それに乗って1時間近くでホテルに到着するとのこと。

運転手は陽気そうな柄のシャツを着て、まぁポーズだけね、という感じで制帽を頭に乗せていた。

港から出てすぐのところに交差点があり、信号で停車した。すると運転手はこのように話をしてくれた。

「この島で唯一の信号機です。なぜ一つだけあるのかというと、この島で育った子供たちが都会に行ったときに信号機で戸惑わないようにするためです」

なるほど、当たり前に享受していたこういった部分も社会生活で必要な素養なのである。


西表島の緑の濃さは想像以上だった。思った以上に勾配もあり、大自然そのものだった。バリとかシンガポールに近い雰囲気だ。1時間のドライブもそんな景色を見ていたらあっという間に過ぎていった。


15時過ぎにホテルに到着する。星野リゾートにおきまりなのかウェルカムドリンクと果物が用意されていた。

チェックインして部屋に入ると、カーテンで仕切られた雰囲気の良い天蓋ベッドのようなものがあり、

窓の外はジャングル的な草木で覆われて、その隙間には海が見えた。


荷解きをし休憩をしてからホテルの周りを歩いてみた。生い茂った緑のなかに鮮やかな花ばな。時折さーっと雨が降り、すぐに止む。そんな感じだからか気温も高くないように感じられ快適に散歩できる。

その足で海に出てみた。細かな砂の質感と穏やかな波。そんなに水温も低くなく、足をつけても冷たいことはなかった。海岸線に沿ってあたりを見渡すと少し離れたところには断崖絶壁な場所もあったりして景色が圧巻だった。


夕飯はホテルから近くのINABAという店で食べた。沖縄料理ではないものを食べたいというときにパスタとかピザがうまいという店だった。

理子と玲はハンバーグをセパレートして食べたり、大人たちはイノシシのタタキやら豚バラの串焼き。ゴーヤチャンプルにタコライスなどいろいろ食べた。どれも美味しく、畳の席で食べるというのもなんだかよかった。

しかし若い店員の子がとても緊張しているようだった。リゾートバイトで本州から来たのかな、などと想像した。


お腹いっぱいになってホテルまで歩いて帰ると、あたりは街灯もなく本当に真っ暗だった。真っ暗ではあるけど生き物の気配は漂っている。理子はとても怖がっていたけれどそんな暗闇のなかでも、道端の草木のところで小さな光がいくつもあった。なんだろうと思ってスマホの光を当ててみると虫だった。でもいわゆる蛍のような見た目ではなく、どちらかと言えば毛虫のような出立だった。少し前に世田谷区の祭りで蛍の光を見た時は本当にうっすらとした光だったのだけど、この野生の虫の光はそれよりも強く感じた。

これが南国で生きる虫の強さか、などと思った。


西表島の持つポテンシャル恐るべしである。

2025年8月1日金曜日

ジャングルナイトツアー

19時半にフェリー乗り場にあるポスト前に集合。ということで竹富島から戻って、そのままフェリー乗り場に居続けた。

ツアーの終了は21時を過ぎるということで、コンビニ行き食料を調達した。しかし時間帯の問題なのかあまり品数はなかった。

フェリー乗り場のベンチに座って食べる。もうとっくに売店は閉まっていた。離島の夜は早く終わってしまうのだ。しかしながら陽が沈むのは遅い。まだ夕焼けが続いていた。もう傘は不要な天気だった。

定刻になり集合場所に行くと既に多くの人が集まっていた。人気のあるツアーのようだ。

我々の名前が呼ばれるとワンボックスカーに案内され、そこで長靴を渡された。

家族がうまいこと座れるようにガイドの「ユウキ」が手際よくさばいていく。

車内の前方に中国人や韓国人のツーリストが座り、その後ろに3家族ほどの日本人が座った。

窓際、前の席に車酔いをしてしまう子供を優先で、という流れで座ってもらっていると、少し神経質そうなお母さんが、「私も弱いんだけど」とボソッと呟いて若干の苛立ちを感じているように見えた。

ツイストパーマを強くかけ(もしかしたら天然かもしれないけれど)、モンスターを飲みながら話す若いガイドはユウキと名乗った。もう一人のガイド、ドライバーはリュウ。「本当はもっと長い名前なのだけどリュウと呼んでください」と彼は言った。リュウから続くもっと長い名前ってなんだろうとしばらく僕は考えてしまった。おそらくリュウノスケザエモンタロウとでもいうのであろう。

車が動き出し、ツアーの同意書にサインなどをし、目的地へと向かう。ユウキは英語をあやつり外国人たちにも指示を出していた。若くてチャラついて見えるユウキの姿に、僕は当初抱いた感情を改める必要があると思った。この男、すごくきちんとしている、と。

とにかくユウキは喋りが上手だった。石垣島には天気予報など当てにならない、実際に起こったことが全てであると言った。この島の素晴らしさを嫌味にならない程度にウィットに富んだ表現で、まず日本語で説明し、その後英語でも話した。そしてその英語で中国人も韓国人も笑った。なんというエンターテイナーであろうか。

南国の若い男のツアーガイド、というとどこか軟派なキャラクターを想像してしまうし、そういった姿をしていたのだけど、彼は立派で有能な陽キャなガイドだった。
今から行く場所には天然記念物の生き物がいたり、見ることがなかなかできない生き物が多くいるとのことだったのだけど、「絶対に皆さんにみていただく」とユウキは満ち溢れた自信をもって我々にプレゼンした。現地に到着する頃にはもう車内のみんなはユウキへの信頼が高まっていたことだろう。


街灯がまるでない道をひた走り、寡黙なリュウは安全に我々を目的地へと連れていった。

ジャングルを安全に回るための注意事項を確認し終わったあと、強力なペンライトを貸してもらい、いよいよ藪の中へと入り込んでいく。街灯もないので各々の家族が持っているペンライトの光る先だけが頼りである。

僕たちを含めて4家族がリュウの引率だった。リュウはユウキほどの派手さはないけれど、隠キャというわけでもなくきちんとガイドとして有能だった。ユウキは体がとても臭い蛇をみつけるけれど、リュウはとても珍しいレアな貝を見つけてくれた。真っ先にヤシガニを見つけたのもリュウだった。きちんと彼らのチームの中にも役割があるわけである。

4家族がそれぞれ縦に並んで進んでいるので、ガイドの注意が行き渡らないので、我々がまず話を聞いて、それを後ろの家族に伝えていった。そうやってチーム感が強まっていったのである。

車の中で神経質そうだったお母さんもジャングルとユウキやリュウの話術にすっかりと解きほぐされたようで楽しそうにしていた。

勾配のある道や、聞いたことのない何かの鳴き声。少しの恐怖がありながら、慣れないサイズの長靴を履いていてコンディションとしては大変ではあったけれど、とても楽しい時間だった。

最終の目的地として洞窟があり、そこでユウキのグループと合流。コウモリがいたり蟹がいたりしたけれど、一番面白かったのはユウキであった。Tシャツを脱ぎ壁によじのぼってる姿は最高だった。

ツアーはとても楽しめた。満点の星空を眺めることはできなかったけれど、十分だった。ユウキに言わせれば星はどこでも見ることができるからである。

車へ戻る道で、リュウの引率チームは2家族に減ってしまっていて、残りはユウキチームに吸収されていて、それに気づいたリュウはちょっと寂しそうだった。暗闇でもわかった。


帰りの車内でもユウキは饒舌だった。ツアーは終わったので、これから島をどうやって楽しむのかという部分に論点を置いて話をしていた。飲み屋に行くなら、肉を食べるなら、酒を飲むなら、と。もちろんをそれを英語でも伝えていた。僕はとっても陽キャというものに憧れてしまった。いやユウキという人間に惚れてしまったのかもしれない。


フェリー乗り場に着いて解散。とってもいいツアーだった。台湾の時もそうだったけれど、個人で回る観光もいいが、その場限りのチームであっても、ツアーというのもいいものだなって思った。それにはやはり有能なガイドが必須、ということなんだけれど。

2025年7月31日木曜日

竹富島へ

「なにはなくともホテルにあるプールに入りたい」というのが娘たちの要望である。

朝、目を覚ますと、カーテンを薄くあけて外を眺めた。天気が悪いのがわかる。暗い空だ。

しかし朝食を食べ終わったあと、娘たちは言う。「とにかくプールに入りたい」。

一択であった。

大人たちは「天気がもってる間に行けるところに行きたい、竹富島に行きたい」という希望を持っていたのだけど、旅の成功は子供たちをいかに誘導するかにかかっているといっても過言ではないので、まずは素直に従うことにした。


建物の外に、デザインがなされた洒落たプールが鎮座していた。

プールのロッカー室というと、なんともジメジメして不快な匂いが漂うイメージなのだけど、ここのそれはデザイン性のある湾曲した壁面だったり、男子用のロッカー室のくせにまったくの無臭であった。シャワー室やトイレもきれいである。そんなものがこの世には存在するらしい。

プール脇にあるリクライニングチェアやテーブルなどはすでに他の客に制圧されており、我々は隅の方にまるで忘れ物のように荷物を置いた。

ここはただ四角いプールに短めのウォータースライダーがついていた。気が利いているのである。

浮き輪でただプカプカと浮いたり、張り切って泳いでみたり。水中で睨めっこしたり追いかけっこなど、思いつく限りのことをした。

ただの四角いプール、それだけで十分なのだ。ただ人が多い。稲取荘のプールが恋しくなったのは言うまでもない。

時折雨が降り、止んだ。そういったことが何度か繰り返されて、もうそういうものなんだろうと理解した。これが石垣島のスタンダードな天気なのだ。


楽しいとは言え、いい加減プールから出たい。という段になって、娘たちもそれに応じてくれた。

いよいよホッピングである。竹富島へと向かうことにした。天気なんて雨が降ったり止んだりするわけなので、ホテルで傘を借りてとにかく出かけようじゃないか。

夕方過ぎからジャングルナイトツアーが控えているため、長袖を用意し出発する。

フェリー乗り場に着くといい感じに、いなたいお店がいくつかあり、そこでポータマを食べたり、美味しいと噂のシェイクを飲んだりした。こういったちょっとつまむものが最高であった。

雨は降っているがフェリーはとくに大きく揺れることもなく竹富島へと無事に上陸することができた。

フェリー乗り場では「水牛ツアーに参加する人が乗れるバス」というのがあり、それに乗ることにした。受付には大勢の人がいて、悪天候なんてなんのそのという強者が多くいるのだなと思った。

そして雨は、降ったり止んだりを繰り返していたけれど、そのうち青い空が顔を出す時間が伸びていった。

この竹富島の集落は、碁盤の目のように区分けされていて、迷い込んだらなかなか行きたい場所にたどり着くのが難しそうである。しかし訓練された水牛は長い時間をかけて道を学習し、10人近くの人間を乗せた車がその狭い道を曲がれるために、どのように動けば良いのかまでを把握して進むことができるらしい。とてもお利口さんなのだ。

ガイドのお兄さんがそのように教えてくれた。

すっかりと雨の止んだ砂の道を水牛はゆったりと進んでいく。急ぐ必要なんてない、ここは竹富島だぜ?と言わんばかりである。

ガイドのお兄さんは三線という楽器を奏でながら民謡を歌ってくれた。合いの手を入れることもできない知らない曲だけど、ゆったり流れる景色と色あざやかな花を眺めながら身を委ねた。


水牛ツアーを終えると、自転車を借りて散策することにした。花さんは後ろに玲を乗せて走った。途中、目当ての店に入って食事をとった。なぜか一番人気のカレー蕎麦というものがあり、僕はそれを注文した。玲はお腹が空いていないといってかき氷。花さんと理子はそれぞれソーキそばを頼んでいた。

確かにカレー蕎麦はうまかった。ホテルの朝食にも八重山そばなどはあったので、ちょっとイレギュラーなものが食べたくなるようだ。


食事を終えると、砂の道に慣れずに苦労しながら海へと向かった。沖縄特有だなと思うのだけど、濃い緑が生い茂ったトンネルの先に、美しい景色が広がっている。

時間帯的に干潮で、海の先端は遠いところにあった。砂浜には白くて小さいすばしっこい蟹がいた。そういった見慣れない生き物を見るとワクワクした。

二人はあえて波打ち際に落ちている枝を使って文字を書くということをして、それが波によって消えるのを楽しんでいた。

きっと何十年、下手したら数百年前からある儀式であろう。

海の中に入ると水はちょっと暖かく、心地よかった。


自転車のレンタル時間の終了があっという間にやってきて、急いで帰る。しかし碁盤の目の道が思うように望んだ場所へと向かわせてくれなかった。人が居住している家も外観が同じようなものばかりなのである。


自転車の返却を済ませると、電話予約が必要なバスに乗ってフェリー乗り場に戻り、石垣島へと戻っていった。

そうして、この日の最大のイベント、ジャングルナイトツアーを迎えるのであった。



2025年7月30日水曜日

アイランドホッピング

アイランドホッピングという言葉を聞いたことがあるだろうか。

離島から離島へとトリップすることだ。

それを「2025年我が家の夏休み」に決行することとなった。


やはり数ヶ月前からガイドブックがダイニングテーブルの上に鎮座するようになり、

花さんの頭の中でさまざまな情報が蓄積され取捨選択され、構築されていった。


そして石垣島、西表島行きが決定した。


夏といえば「青い空、青い海」だが、それと同時に沖縄には台風がやってくるものである。

こちらもやはり数週間前からヤフー天気予報やらウェザーニュースやらとにらめっこし、

毎日、へたしたら数時間おきに変わってしまう予報を夫婦でシェアしあった。


7月25日(金)。東京は晴れである。玲が学校から持ち帰ってきた朝顔にたっぷりの水を与えてから家を出た。

二子玉川から羽田空港へとバスで向かう。事故渋滞が発生し、早速出鼻をくじかれるものの、とくに大きな遅れを伴うことなく到着した。


空港で必要な一通りの作業を終えて、搭乗時間を待った。

昔は時間を潰すことができたキッズスペースでは、明らかに玲よりも小さな子供たちが全力で遊んでいた。

理子も玲ももう違うステップにとっくに進んでいたのだ。


僕は慣れないスタバでホットコーヒーを注文し、飲んだ。


搭乗時間となり、ママの隣に誰が座るのかという定例会議が行われながら、

飛行機は事務的に離陸した。

離陸と共に眠くなるのは何故だろう?



那覇に到着すると、見覚えのある売店、UFOキャッチャーが目に入る。

そしていつものメガネモチノウオである。

旅先であるのに既視感がたっぷりとあるというのは実に不思議なことだ。


石垣島へと行くのに少し時間があったので、沖縄ならではのポー玉を購入して食べた。やはり美味しい。



飛行機を乗り継いで石垣島へ向かう。

石垣島へは1時間程度のフライトである。窓の外からは原生林のモリモリした緑が目に飛び込んでくる。

そんな島の姿を見た時はワクワクした。


17時過ぎに島へと到着すると、タクシーでホテルへと向かう。タクシードライバーは台風は大したことないよと、方便を駆使して我々に教えてくれた。

結果的には沖縄で過ごした日々は、おっちゃんのいう通り台風の影響を感じることは本当になかったと言っていい。


そして、おっちゃんは、僕を見て「沖縄の人間でしょ?」と言った。

これが彼なりの沖縄ジョークなのかなんなのかわからなかった。僕の顔のどこを見てそう思ったんだろう?



アートホテルというのが我々が2日間宿泊するホテルだ。

部屋からは海らしきものが遠くに見えた。

夕飯まで時間が空いていたので、カメラ片手に散歩することにした。

子供等に声をかけたけど、僕に賛同する者はなかったので一人で出かけた。


なんとなくこっちに行けば海にたどり着くかな、くらいな気持ちで歩く。時折霧雨のようなものが肌にまとわりついて、これが南国というものかと物思いに耽る。

聞いたことのない鳥の鳴き声、唐突に響く山羊の「メ~」。目に痛いくらい発色の良い花々。

そういった華々しさとは打って変わって、どこか諦めにも似た退廃的な街並み。

建物が朽ちかけていても「暑いし、まぁいいか」と言ったことなのだろうか。

ホテルの周りを少し歩いただけでいろいろなものに触れることができる。


そして僕は唐突に潮の香りを感じ、すぐそこに海があることを知った。

その少し先には船が停泊する場所があった。


防波堤に一人座って佇む人や、ランニングする人。

家族なのか仲間なのか、手作りのような船を集団で海へと運んで着水させている姿には、妙に南国を感じた。

涼しいわけではないけど、東京にいて感じるような不快な暑さはなく、

公園のベンチで座って談笑しているグループがいたり、外で過ごしている人の姿が目についた。



1時間ほどの散歩を終えてホテルに戻ると道端には野良猫がいた。人が脇を通っても逃げようとしない。のんびりした猫だった。



20時に焼肉屋を予約していた。

前回僕がいない時に石垣島で食べた肉がとても美味しかったというのだ。

ぜひ僕も堪能させてもらおうというわけである。


値段は正直なところ張るわけだけど、旅先アドレナリンがビンビンに出ているので値段は気にせずにとりあえず盛り合わせで頼んでみる。

そしてオリオンの生ビールを喉に流し込んだ。体内に「旅」が流れ込んでくるような美味しさである。

そして肉の焼ける香ばしさ。子供たちの箸が止まらないのがその証拠であろう。


肉を噛めば脂が口に広がり、それは実に高級感のある脂だ。

その土地の名前のつく牛は、土地の名に恥じないとても美味しいものだった。



泡盛なども摂取して、ラストオーダーの時間まで滞在した。

「酔い」旅の始まり。



帰り道、僕がさっき見た猫が同じ場所で、彼らにとって当たり前の南国を感じながらゆったりと眠りについていた。

いよいよ明日からは本格的な旅が始まる。

2025年5月8日木曜日

台湾最終日

台湾4日目。翌日の朝には飛行機に乗るので、この日が観光の最終日である。

食事を済ませ、部屋に戻り支度をする。しかし備え付けられた巨大なテレビには、なぜここで、というものが映し出されていた。ネットフリックスのタイムレスプロジェクトであった。

続きを見たがる理子をテレビの前から引き剥がし、部屋からようやくの思いで飛び出した。


この町には台湾シャンプーというのがあるらしく、女性陣はまずその店に向かった。僕は一人で街をぶらぶらと歩くことにした。体感的には碁盤の目のようにわかりやすい道だと思った。

そして、この町だけがそうなのかもしれないけれど、アーケードのように道は建物のなかにあるので、日差しが直接当たらなくて歩きやすかった。相変わらず物珍しいタギング、グラフィティを見て歩いた。そして台湾といえばNOE246であるが、ようやくそのステッカーを発見した。

一人の町歩きだからちょっとした不穏な空気感のある路地裏に入ってみたり、朝から営業している屋台のような店を覗いてみたり。急にもトイレに行きたくなって「台湾 トイレ」と検索したりしてコンビニに駆け込んだりもした。

この町にはファミリーマートがやけに多かった。数分歩けば小さな間口のそれが見つかった。台湾での名前は『全家』と書いてあったそのネーミングも面白い。

それとモスバーガーも多かったし、大戸屋もあった。その辺りは韓国とは違うカルチャーである。


シャンプーが終わったと連絡があったので、3人と落ち合った。感想を聞いたところ思っていたようないわゆる台湾シャンプーではなかったらしい。これも旅のスパイスであろうか。

この日は猫カフェに行くことになっていて、電車で違う街へ移動した。三越があったりするようなエリア。その三越の一階にはLE LABOがあり、サンタマリアノヴェッラがあった。良い香りに包まれた空間だった。その奥にはニューバランスとビームス。どういったコンセプトなのかわかりかねるけど、その辺が売れ線ということなのだろう。

最上階には誠品書店があった。こういったカルチャーに触れるのはやはり楽しいものだ。

花さんは目的の店があったようで、その店で土産物を物色していた。

僕はフロアをぶらぶらとしてみたのだけど、三越という日本でのイメージとは全く違っていて、小さな店が多く点在していた。ハンドクラフト的な店や、アクアリウムの店、ファンシーショップなど。日本の三越的な感覚でいると不思議な規模感だった。


その後は小籠包が美味しいという店に向かった。

蟹味噌風味の小籠包と普通のもの、チャーハンと玲用にラーメン。空芯菜の炒めものに、台湾ビールを注文した。

料理を待っている間のような、こう言った手持ち無沙汰な時、玲はYouTubeを見ていたけれど、理子は持参していた「世界一クラブ」を読んでいた。YouTubeを見たいということは稀だった。電車に乗ってる時、バスに乗ってる時、カバンからこの本を取り出して読んでいた。なんだかとても素敵な習慣を身につけたものだ。


料理が続々と届いた。小籠包はやはり美味しいし、円卓をくるくると回して料理を取り分けるのも本場感あっていいものだった。食事が楽しいと旅行自体の格が上がるような気がする。


満腹の状態で猫カフェのある街へ移動した。ここは日本で言えば渋谷原宿のような街だった。駅を降りるとH&Mや若者向けの店が軒を連ねるような場所だった。

あらかじめ予約していたのですんなりと入店する。5-6匹はいたのではないだろうかという猫たちと、ポメラニアン。

店のシステムとして一人500元は使わなくてはならないらしいが、満腹な我々にそれはむずかしいことだった。レインボーケーキや、猫の形をしたボトルに入った紅茶やあまいピンク色の液体を注文したけれど、そもそも子供たちは席に着くことはなく、猫を追いかけて店内をあっちに行ったりこっちに行ったりとしていた。


いつぞや日本で体験した猫カフェとは何もかもが違っている。まず衛生観念が違う。ひょいっとテーブルに乗ってくる猫がいるのに、普通に食事ができるスタイルだからである。隣のテーブルではがっつりパスタを食べていたが、糞尿の匂いがする中では自分にはちょっとできない芸当である。

良い点としては猫や犬がとてもフレンドリーということである。撫でても拒否されることがあまりないので、理子も玲も嬉しくて仕方がないといった感じだった。僕も動物からしか得ることのできない癒しを堪能していた。

花さんも堪能していた結果、普通に寝てた。よほどリラックスできたようだ。

店員の男性は最初現地の言語を話してきたけれど、私がジャパニーズオンリーソーリーなことを伝えると少し悲しそうに、でもなにかを伝えてくれようとした。それはこうすればもっと猫が懐いてくれるとか、いま写真を撮ったほうがいいなどの楽しむ方法の伝授だった。そういった気持ちはとても嬉しいものだった。

タイムリミットとなり、会計をすると、一人500台湾ドルで2000台湾ドル、それになんやかんやとついて、支払いがなぜか米ドル支払いになって1万円を超えていた。キャバクラに行ったらこういう気持ちになるのかな、と思った。


平日というのにこの町は人で溢れている。もちろんツーリストも多いのだろうが、そもそもの熱量みたいなものが根本的な部分で存在している気がする。昔の日本もそうだったのかもしれない、と思うが、渋谷も外国人から見たら僕と同じように熱量を感じるのかもしれない。

僕にとって2度目の台湾は、前回とは全く違っていた。成長した子供が意思を持って行動していたし、旅の姿というのはこれからも毎回何かしら違ってくるのだろうと思う。結局そのうち夫婦だけでいく、という旅行になったりするのかもしれない。


最後の食事はホテルの近くのルーローハンが美味しい店だった。

食事はもちろん美味しかったが、中年の集団が部屋を貸し切っていて、誰かの誕生日を祝っているらしいその様子が

とても自由で楽しそうに見えた。月曜日だというのにだ。この国はいい国なんだろうと思った。


翌日、日本に帰国した。台湾では降らなかった雨模様だった。

雨にはじまり雨に終わる旅だった。

次はどこへ?花さんに聞いてみるともう次の旅のプランが頭の中にあるらしい。彼女は嬉しそうに笑った。






2025年5月7日水曜日

台湾3日目

泊まったホテルは良いホテルだった。洗面台は2つあり、どういうわけかシャワールームとバスルームと別々の構造だった。部屋の中にはモダンなアートが飾られている。キャプションが付けられているところを見ると、本物のようだった。大きめのベッドが二つ堂々と鎮座しており、入った瞬間にこの部屋はいい部屋だと思わせるには十分な設備だった。

朝食はビュッフェタイプで、卵料理はどういうったものがいいかとあらかじめ聞かれた。我々は無難にオムレツをお願いした。

初めて見る野菜を食べてみようと思うのは、外国にいる高揚感がもたらしたもののような気がする。それを実際に口にしてみるとアロエのようにパリっとはじけた。世の中には知らないもので溢れている。


今日はバスツアーを予約しており、朝ご飯を食べ終えると集合場所の駅へと足早に向かった。

黄色いポロシャツを着た中年のツアーガイドさんはサイファーと名乗った。髪型は角刈りで、失礼ながら性別がよくわからなかった。

全部で13グループ参加しており、我々はグループ9だった。

バスに乗り込むと、日本人は固まって座ってくれと言われた。英語を理解しない人種だと思われているらしく、個別に色々話しかけるのが面倒だからであろう。

欧米人はいなかったけど実に多国籍なメンバーだった。


我々を乗せたバスはひた走り、最初の目的地である中社フラワーパークへと向かった。

バスを降りるともわっとした空気が漂い、肌をじっとりと湿らせた。不快度がマックスになったらしい理子は口がとんがっている。実にわかりやすい子である。

ガイドのサイファーは、何分後の何時何分にここに集合してください、絶対に遅れないようにと念を押した。


いろいろな花がいろいろなオブジェとともに構成されていて、映えスポットということらしい。ピアノを模した置物や、ドラムセットが置かれたりしている。子供たちは花々を見ても、大きな感動を見せないようだった。大人の方が楽しんでいたかもしれない。

いろいろな場所を見て回ると、同じツアーにいた男性がなにやら女性の前でひざまづいていた。

「ん?もしかして・・・」

男性の手元には指輪が収められているであろうケースがあった。

「サプライズだー!」と一気にテンションが上がる我ら夫婦と理子。

これからバスツアーで1日行動を共にする人にサプライズでプロポーズするなんて、よほど確信がないとできないであろう。

どうやら女性はそのプロポースを受け入れたらしい。たまたま同じツアーに参加しているだけではあるけど、大きな拍手を送った。


その後、暑さもあって早々に集合場所へと向かった。売店で押しの強いおじさんにお茶を買わされる。奥でお茶を飲んでるカップルに「あーあ、買わされてるよ」といった顔をされた。

集合時間になり、ガイドのサイファーもやってきて、ツアーのメンバーを確認し始めた。しかしグループ10は現れなかった。早速イライラしている様子であった。

ルールを守っているメンバーたちはバスに乗り込んで、グループ10が現れるのを待った。

そしてしばらくしてから彼らはやってきた。プロポースをしていたグループだった。

そしてサイファーは「きみたちは他のメンバーの時間も使っているんだ」と注意をした。

「残っててもいいけれど、私が迎えにくるのは3日後だ」とジョークを交えていた。そういったサイファーのジョークはバスの中を楽しい雰囲気にさせていた。

きちんと的確に注意しているんだけど、しらけた空気を作らないというのはものすごく力量のいることだと思う。

僕は単語しか聞き取れないので、Googleの翻訳アプリを膝下においてリアルタイムにアナウンスを日本語に訳していた。


その後宮原眼科という場所へと向かった。ここはもともと日本人が建てた本当に眼科として経営されていた場所らしい。そこは今ではハリーポッターに出てきそうな本棚で埋め尽くされた空間とのこと。

現地に到着し、バスを降りる前にまたサイファーはみんなに告げた。

「リメンバー・・・」絶対に集合時間を忘れるなよということである。

この後も目的地に到着する時にはサイファーは繰り返してこの言葉を言った。


チキンの店で昼食を食べ、有名らしいアイスクリーム屋へと行ったのだけど超満員だった。

その後、宮原眼科に入ってみると確かに天井まで届きそうな本棚。クラシックなのにモダンな空間だった。今ではそこはお菓子が売っていたり、アイスが売っている。ここでも人でごった返しており何も買うことができなかった。

結局その建物のすぐ前を流れている川辺で時間を潰すことにした。他のグループのメンバーも同じように過ごしていた。

川には魚が生息していて、子供たちはその辺にあった葉っぱをちぎって魚にあげていた。

自然が近くにあってそこで過ごせるというのはやはり落ち着くものだった。


集合時間になったのでバスに戻る。サイファーによる点呼があり、順番に番号を言っていき、グループ10と告げると

「Woohoooo!」と元気いっぱい返事をしていた。どうやら彼らはフィリピーナらしいがバスの中が笑いに包まれたのは言うまでもない。

その後オペラハウスを見学したり、レインボービレッジという村に行ったりした。

この村では願い事を書く場所があり、我々もそれぞれがもらった紙に書いていた。

また家族で旅行に来れますように


最後の目的地は高美湿地というウユニ塩湖のような鏡面になる場所だった。

風がとても強く吹いており、風力発電がそこらにあった。僕らは髪をもみくちゃにされながら移動した。

桟橋は1キロ近くあるらしく、その脇には小さなカニがたくさん生息していた。

どういうわけかその蟹の色は白く、片方の手がその体に対しておかしいくらいとても大きかった。天敵に狙われ放題に見える。


注意をまともに聞いてなかった人たちの帽子が桟橋の向こうに飛ばされていてアディダスの帽子に哀愁が漂っていた。


桟橋の先端からは靴を脱いで浅瀬の中に入っていけるようだった。僕らはそこから先へは行かなかったけど、なんともその光景は不思議だった。

本来は太陽が沈む姿を見ることができるらしいけど、この日はあいにく拝むことはできなかった。

こうして最後の目的地を堪能してツアーは終了した。

帰り道は2時間近くかかりながら、朝集合した駅に戻った。

サイファーが最後のまとめのような挨拶をしていたのだけど、どうやら日本人の他のグループの女性が明日誕生日らしい。

サイファーが盛り上げてみんなで「ハッピバースデートゥーユー!」と歌った。こんなにいろいろな人種たちが集まった空間で歌ったことなど人生でなかった。プロポーズの現場を目撃したり、誕生日を祝ったりと、素敵なツアーだったなと思った。


電車に乗ってホテルまで戻ったのはすでに22時近かった。

夕飯を食べていなかったので、ホテル近くにあった屋台で食べた。

コンビニで買ったビールを飲みながら、名前の思い出せないようなそれを食べているのは、旅をしてるなぁと実感させるには十分だった。花さんはとてもリラックスして楽しんでいる表情をしていた。

夜中なのに力強い街。それが台湾の魅力の一つなのかもしれない。