到着したグアム空港では、入国のための長蛇の列ができていた。ぱっと見では圧倒的に日本人が多かったが、もちろんそれ以外も多くいるようだった。テープで仕切られた通路に、くねくねと曲がりながらとにかくたくさんの人が並んでいる。飛行機の中同様に子供がわんさかいる。そして時刻は2時近く。当然眠い時間帯である。お父さんによって抱きかかえられている子供たちが多いなか、どういうわけか理子は元気であった。
兎にも角にもまったく進まない列。今までの海外渡航で(両手で数えられる程度だけど)記憶にないくらい並んでいる。これがアメリカに入国するってことか、などど思った。子供連れを優先してくれる国もあったけど、今の状況でいえば、そんな組ばかりなわけで、どちらにしても待つしかなかった。
ようやく入国審査をパスして荷物をピックすると外に出た。しっとりと暖かかった。タクシー乗り場にはボッタクリ防止のためなのか、どこそこまでは幾ら、といった看板がある。
『オンワードビーチリゾート』というホテルが我々が宿泊するところだった。それを告げると、日本よりも大きめな車が動きだす。
当然真っ暗なので景色など見れないけれど運転手は「ビューティフルアイランド」だと言った。
空港からホテルまではあっという間に着いた。ホテルにチェックインし、部屋に入るととても広かった。早速窓を開けてみると、目の前が漆黒の海だった。波の音は聞こえなかったけれど、月の光が海面をゆらゆらと照らし、白い道を作っていた。
これはもう綺麗に違いないと確信させるものだった。
時刻はもう3時近く。我々は広い2つのベッドで寝た。
9時近くに目を覚ました。分厚いカーテンは全てを遮光していて、部屋は真っ暗だったので外の様子は全くわからない。寝ぼけ眼でベランダに出てみると、今までに見たことのない綺麗な色の海が広がっている。エメラルドグリーンと深い青とが混じり合い、遠くのほうで白い波が立っている。遠浅のようだ。少し先には小さな島がある。泳ぎが得意な人はすぐに着いてしまいそうな距離だ。
まだまだ朝なのに、既に海ではモーターボートを楽しむ人がいて、ホテルのプールでは子供達の声が響いていた。
僕らはまずホテルで朝食を食べることにした。閉まってしまうまであと1時間を大きく切っていたのだった。
バイキングのホールに行くと、家族づれが多くいた。そして、とにかく日本人ばかりだった。ホテルが日系だから、ということももちろんけれど、欧米人の姿はほぼなかった。
ホールで働く人たちはおそらくチャモロ人で、どちらかといえば東南アジアよりのように見える彼らは人懐っこそうな顔立ちをしていた。
腕にびっしりと刺青が入っているお兄さんが、玲さんを見つけると優しく微笑み、声をかけてくれた。
ご飯を食べられる時間はあまりなかったので、さっさと見繕って食べることにした。特にすごく美味しいというわけでもなかったけど、素晴らしい景色を見ながら食べるので、十分であった。
玲さんのご飯をお湯で温めて食べさせていると、タイムアップ。閉店となった。
部屋に戻ると、早速着替えをし、しっかりと日焼け止めを塗った。理子は水着のまま駆け出しそうだったので、なだめてズボンを履かせた。ホテル内は当然水着で歩いてはならないのだ。
ウォーターパークという、アトラクション系のあるほうのプールに行くと、流れるプールや、ウォータースライダーがあった。
ビーチパラソルのあるロッキングチェアはもう既に使用されていた。大人気である。
屋根のある売店の、テーブルを確保して、陣取った。理子は早速シャワーの流れる浅瀬のプールで遊び、滑り台を何回も往復して楽しんでいた。そして流れるプールに、自前の浮き輪を持って、花さんと入っていった。僕は玲さんを抱っこして、このグアムの日差しや、僕の目の前を通り過ぎていく黒いニワトリなどの、目新しいものを見て楽しんでいた。
うっかりドルを丸ごと部屋に置いてきてしまったため、売店でビールやらなにやら買うことができなかった。
ひとしきり楽しんだ二人は、テーブルにやってきて少し休憩をして、また理子はプールに舞い戻っていく。今度は花さんと交代して僕も流れるプールに入る。どこからともなく流れてくる浮き輪の一つを浸かってゆらゆら流れる。こんな風にプールに入るのは何年ぶりのことだろうか。中学生以来といっても過言ではない。
お昼をだいぶまわった頃、花さんが売店でご飯を買ってきてくれた。本当はアウトレットに行ってそこでご飯を食べる予定だったのだけど、理子はここから離れることを断固拒否したのだ。
僕はご飯のついでにLITEと書かれたビールを飲んだ。この状況で飲むそれが美味しくないわけはなかった。
花さんと交代したりして、ひとしきりプールを楽しむと、いい加減出よう、ということになった。花さんは先に着替えに戻り、僕は玲さんを抱っこしてテーブルから理子を見ていた。すぐそこの浅瀬にある滑り台で遊んでいたかと思ったら、いきなり流れるプールの方へ行った。しばらくプールサイドから眺めていただけだったのに、浮き輪を持って着水した。僕は全身の血の気が引いてすぐに駆け寄った。僕が慌てふためく姿を、理子はにやにやして最初は楽しんでいた。浮き輪に入っているので、溺れたわけではないので、まだ余裕があったのだ。
しかし僕が階段を下りて理子を捕まえようとしても捕まえることができず、理子が流れていってしまったとき、その状況にびっくりしたのか泣き始めた。当然のことだ。僕の焦りも半端なかった。プールは意外と深く、抱っこ紐で玲さんを抱えたままだと玲さんも溺れてしまう。
運よく日本人の人がその状況を見て助けてくれた。本当に助かった。何度もその人にはお礼を言って、理子にはきつく怒ったし、自分自身も戒めた。
水辺においては絶対安心なんてことはなにもなかった。
花さんが戻ってきて、ことの顛末を話すと、理子はまた泣き出した。そうして部屋に戻って休むことにした。
部屋から眺める景色が綺麗だと、なにもしてなくても居心地の良い時間が過ぎていく。うつらうつらとベッドで横になっていると、いつの間にか寝てしまった。
夕方過ぎ、辺りがもう真っ暗になったころ、ホテル近くのダイナーでご飯を食べた。ザッツアメリカン。地元民もツーリストも集まるいい店だった。メニューにはガツンと肉、肉、肉が並ぶ。ステーキの塊と炒めた肉の2種、それにチキンライスがどっさりと盛られたプレートと、巨大なクラブサンドを注文した。ビールはどういうわけかアサヒだった。そういえばテーブルには「YAMASA」と書かれた醤油が置かれていた。
理子は昼間の出来事のせいか、あまり料理を口にしようとしなかった。無理もないと思いつつ、僕はがっつりとそれらを食べる。旅先でカロリーを気にしてどうするのだと言い聞かせてズボンのベルトをこっそりと緩めるのだった。
店員は気さくに話しかけてくれ、特に玲さんをあやしてくれた。どっさり盛られた料理を、最初は食べきれないかと思ったけど、結局は全部食べきれた。
店を出る頃には理子の機嫌も直っていた。そして「明日は海に行くよ」と花さんと楽しそうに話をしている。旅はまだまだ始まったばかりだ。
2019年3月30日土曜日
2019年3月28日木曜日
旅の始まり
この世の中には、カードで支払いをすると、マイルというご褒美がもらえるシステムがあるらしい。旅好きである花さんがこれを知ってからは、錬金術士のごとくであった。家庭内における出費という出費はカードを通してされた。スーパーでのちょっとした買い物も、カードで行われた。
そしてある日こう言った。「グアムまで家族で行くぶんのマイルが貯まった」と。
まさに塵も積もればグアム旅行である。錬金術士の努力の賜物であった。
それからというもの、やはり我が家の本棚には、『グアム』とタイトルのついたガイドブックが並んだ。そして花さんはそれを家事の合間に楽しそうに眺めているのであった。または旅のブログ、特に子連れで旅をした人の体験記などを読みふけていた。
それをもとに、旅のしおりが練られ、PDFになって私のGmailに添付されて送られてくるのだ。
出発は平日の夜だった。18時に仕事を終え、僕はそのまま成田へ行くことになっている。花さん一人で、生後8ヶ月と4歳児を連れ、大きな旅行鞄を持って電車に乗るなど出来やしない。
鞄はどうするつもりなの?と僕は花さんに聞いた。すると花さんは「事前に鞄をクロネコヤマトにピックしてもらい、空港宛に送るの」と言った。抜かりない。
飛行機の出発は21時20分だった。花さんたちは帰宅ラッシュを避けるべく早めに出かけて行ったらしい。
僕はといえば、18時に完全に仕事を終わらせるべく、奮闘していた。『飛行機 間に合わない どうする』みたいな検索を昼休みにしてはいたけれど。
かくして無事に会社を脱出した。普段はてぶらで出社しているけれど、この日はリュックを持っていた。しかしだれもそんな様子を気にとめることはなかった。この日は気温もかなり高く、厚手の上着も必要ではなかった。南国に行くのにはかなりの大荷物になってしまうところだったから、助かった。
いつもは大江戸線に乗るところを、日比谷線に乗った。山手線に乗り換えようとすると、緊急停止ボタンが押されたとアナウンスがあった。こういうときに限って、ということでもない、もはや日常の異常の中、ホームは人で溢れかえっていた。
ようやく電車が到着し、乗り込んだ。サンドイッチの具のようにぺちゃんこになりながら僕は東京駅へと向かう。
駆け足で階段を降りて、成田空港行きのホームを目指した。特急券を買わなくてはいけないけれど、券売機には列ができていて諦めた。ホームにいくと、列車はすでに到着していた。同じように券を買えなかったであろう人が、駅員に話どうすれば良いのかを聞いていて、とりあえず乗って車内で支払いをしてくれと言われていたので僕もおとなしくデッキに立っていた。
英語圏ではない人が電話をずっとしていて、その声がやたらとうるさかったけど、「ああ、もうここから海外へ行くのが始まってるんだな」とぼんやりと思った。そして僕は松浦弥太郎の『場所はいつも旅先だった』を読みはじめた。
成田空港へと到着すると、花さんたちとの待ち合わせた場所へと向かった。彼女たちはすでに空港内でシャワーを浴び、玲さんも離乳食を食べ終わっていた。
理子はジェットキッズに乗っていた。子連れの海外旅行の友らしい。ずいぶん前に買っていたけれど、使うのは初めてだ。それに跨って足で蹴って前へ進んで行く。空港くらいの広々したところで使うには安心できる。周りには同じような家族づれがいて、色違いのそれに乗っている子もいれば、あれはなんぞ?と興味津々で見ている子もいた。
荷物を預け、出国手続きをしようとすると、長蛇の列ができていた。予定よりも早く着いていたはずなのに時間はあっという間に過ぎていく。やっと終わった頃には夕飯をゆっくりと食べることもできない時間になっていて、売店でホットドッグを買って機内で食べた。
以前はシートベルトをしたくないといって暴れていた理子は、おとなしく自らそれをしていたし、半年前はYouTube漬けでアディクトしていたけれど、もうそれもなかった。
座席にはモニターはなく、自分のiPhoneにアプリを入れて、それで閲覧するようになっていた。
飛行機内には、玲さんと同じくらい、または理子と同じくらいの子供たちがいっぱいいた。みんな考えることが一緒である。時差が1時間程度なので、夜中に出発して少しでも滞在時間を楽しもうというわけである。これで玲さんが泣き出しても、多少は大目に見てもらえそうだと胸をなでおろした。
離陸に向けてアナウンスがあり、ゆっくりと滑走路へと入っていく。昼間とは違って、ライトアップされたそれは、これからの旅をどこか幻想的なものにするショーアップのようだった。
離陸の瞬間に向けて理子には飴を舐めさせ、花さんは玲さんにこっそり授乳していた。飛行機は速度を速め、次第に機体は空へ向けて傾き地面を離れた。空には大きな月が丸く、煌々と光っていた。
2019年3月26日火曜日
2019年3月7日木曜日
朝
カーテン越しに、朝の光が部屋の中にぼんやりと広がっている。だんだんと季節が変わっていこうとしていることがそんなことからも分かる。5時である。
ここのところほぼ22時には布団に入っている。4人、同じ部屋。理子はママと寝たいし、玲さんは夜中に授乳が必要だからママの隣なわけで、ダブルの布団に3人。シングルに僕が一人寝ている。
夜中、玲さんがもぞもぞと動く音が聞こえる。こういうとき、耳は早々に働き始める。泣きだすであろうちょっと前に、花さんのパジャマのマジックテープが外れる音がする。授乳を開始したようだ。母親の反射神経には父親は永遠に追いつけない。
分断されながらも、5時には目がさめる。
寝るときに、iPhoneは飛行機モードにしていて、Wi-Fiも切っている。布団に入りながらもぞもぞしてなんとなくsnsをザッピングする。洗濯が終わるアラームが聞こえて、僕は布団から這い出る。
洗面所に行き、お風呂の追い炊きをする。洗濯物を干す。ものすごく小さなボリュームで、 never young beach を聴く。
大人のものよりも多い子供たちの服を洗濯バサミに止め、それらを持ってベランダに出る。左手方向は、オレンジ色の光が広がり始めているけれど、右手側はまだ夜が続いているし、中央では星が強く瞬いている。朝とも夜とも言えない、不思議な時間帯である。マンションの3階からは、少し離れたところにある首都高速が見える。この道には夜も朝も関係なく、いつだって車が走り続けている。
洗濯物を干し終えると、風呂に行く。最近日課になっているお風呂での映画視聴である。花さんたちが起きだすまでの時間、1時間ちょっと。つまり映画は一度では見終えることはできないけれど、それくらいがちょうどいいとも思っている。
つい昨日見終えたのはゴッドファーザー3である。つまりその前に1、2も同じように風呂で見終えた。9時間ちかく風呂にいたのかと思うと、いますぐのぼせてしまいそうである。
だいたい映画を見終えるのは、理子が唐突に風呂のドアを開けることによる。イタリアンマフィアが敵を待ち構えて殺そうかというときにドアが開くものだから、なかなかスリリングがある。
理子はここのところ、我々のコーヒーを淹れることにはまっている。といってもコーヒーのカプセルをセットして、レバーを倒せばコーヒーは抽出されるのだけど、きちんとそれに砂糖と牛乳を入れ、さらにスプーンでかき混ぜてくれもする。なかなかである。
それをおぼんに乗せて、テーブルまで運んでくれる。
「『まだかなー』って言って」と理子は僕に言う。
「まだかなー」と僕が言うと、「お待たせしましたー」と言ってコーヒーを置いてくれる。
娘に入れてもらうコーヒーは美味しい。
朝食を食べ終えると、理子の着替え、歯磨きとスムーズに行くこともあるし、我々に怒鳴られて、泣きながら保育園に行くこともある。
魔の3歳とよく言ったものだけれど、3歳で魔になると、そのまま能力は高まっていくわけである。3歳が絶頂では当然ないわけであった。
僕は大抵、iPhoneで音楽を聴きながら支度をしたり片付けをしている。
とある日、ペトロールズのFUEL聴いていたら、理子が廊下を走って僕のところにやってきた。
「楽しそうな曲が聞こえてきたから走ってきちゃった」だそうな。
音を楽しんでいるようで何よりである。いい朝だ。
2018年12月27日木曜日
メリークリスマス
12月24日の夜。クリスマスツリーの下に、赤い封筒に入ったサンタクロース宛の手紙とともに、マカロンと牛乳が置かれていた。数日前から理子は「マカロン」を買うと言っていたのだけど、どうやらそれは、サンタクロースにあげるためのものらしかった。
キラキラと光るツリーと、サンタへのお礼のおやつ。自分が子供の頃とは勝手が違うものなんだな、と思う。
自分は幼稚園の時、園長先生がサンタの格好に着替えているところを見つけてしまったので、現実を知るのは早い方だった。
朝起きた時にサンタからのプレゼントがある、というふうにしたかった。
24日の午前中に実家から届いたプレゼントではそれが叶わなかったので、25日にそれを決行した。
僕はどうせ5時くらいに目がさめるからと、子供の寝かしつけとともに自身も寝落ち。
花さんは復活したようで、そのままクリスマスの支度をしたらしい。
「準備完了」というメールが届いていた。
プレゼントがツリーの下に置かれ、用意されていたマカロンと牛乳は、お皿だけ残して片付けたというわけである。
翌朝、ツリーの下へ駆け寄りプレゼントを見つけた時の喜びようといったらなかった。
やったー!やったー!と言って飛び跳ねていた。
当たり前だけど、テンションが最高潮に達し、朝ごはんどころではない。
腹が減っているなどどこかへ飛んで行ってしまったようだ。
プレゼントとともに、サンタからの手紙が置かれていた。花さんが用意してくれていた。
そういったわけで、平日の朝のバタバタはいつもに増してバタバタしており、
結果的に保育園に行きたくない、靴を履きたくないとなった。
先ほどまでの和やかムードは何処へやら。
ここのところの寒さなのかなんなのか、めっきり保育園に行きたくないモードが続いている。とてもぐずるため、誘拐犯よりも手際が悪そうだけど、最終的には理子を無理やり抱っこし、保育園まで連れて行った。歩いて数分とはいえ、16キロオーバーの暴れる子供を抱えて歩くのはしんどいものである。
しかしながら、園に着くと割とケロっとしている。そして先生にサンタさんにプレゼントをもらったと嬉しそうに話をしている。
友達のお母さんにも「何をもらったの?」と聞かれると、「シルヴァニア!」と自慢げに話していた。
仕事のお昼休み、ミッドタウンのディーン&デルーカで、花さんへのプチプレゼントとして
少し気の利いたお菓子を買う。
この日の夕飯は花さんが頑張ってくれ、ご馳走だった。ご飯の後には、理子と花さんが、玲さんの黄昏泣きと格闘しながら作ってくれたケーキを食べた。
夜の街に繰り出して祝うような派手さはないけれど、親密で温かなクリスマス。
僕が欲しかったウールの靴下を花さんがくれた。
いい1日だった。
キラキラと光るツリーと、サンタへのお礼のおやつ。自分が子供の頃とは勝手が違うものなんだな、と思う。
自分は幼稚園の時、園長先生がサンタの格好に着替えているところを見つけてしまったので、現実を知るのは早い方だった。
朝起きた時にサンタからのプレゼントがある、というふうにしたかった。
24日の午前中に実家から届いたプレゼントではそれが叶わなかったので、25日にそれを決行した。
僕はどうせ5時くらいに目がさめるからと、子供の寝かしつけとともに自身も寝落ち。
花さんは復活したようで、そのままクリスマスの支度をしたらしい。
「準備完了」というメールが届いていた。
プレゼントがツリーの下に置かれ、用意されていたマカロンと牛乳は、お皿だけ残して片付けたというわけである。
翌朝、ツリーの下へ駆け寄りプレゼントを見つけた時の喜びようといったらなかった。
やったー!やったー!と言って飛び跳ねていた。
当たり前だけど、テンションが最高潮に達し、朝ごはんどころではない。
腹が減っているなどどこかへ飛んで行ってしまったようだ。
プレゼントとともに、サンタからの手紙が置かれていた。花さんが用意してくれていた。
そういったわけで、平日の朝のバタバタはいつもに増してバタバタしており、
結果的に保育園に行きたくない、靴を履きたくないとなった。
先ほどまでの和やかムードは何処へやら。
ここのところの寒さなのかなんなのか、めっきり保育園に行きたくないモードが続いている。とてもぐずるため、誘拐犯よりも手際が悪そうだけど、最終的には理子を無理やり抱っこし、保育園まで連れて行った。歩いて数分とはいえ、16キロオーバーの暴れる子供を抱えて歩くのはしんどいものである。
しかしながら、園に着くと割とケロっとしている。そして先生にサンタさんにプレゼントをもらったと嬉しそうに話をしている。
友達のお母さんにも「何をもらったの?」と聞かれると、「シルヴァニア!」と自慢げに話していた。
仕事のお昼休み、ミッドタウンのディーン&デルーカで、花さんへのプチプレゼントとして
少し気の利いたお菓子を買う。
この日の夕飯は花さんが頑張ってくれ、ご馳走だった。ご飯の後には、理子と花さんが、玲さんの黄昏泣きと格闘しながら作ってくれたケーキを食べた。
夜の街に繰り出して祝うような派手さはないけれど、親密で温かなクリスマス。
僕が欲しかったウールの靴下を花さんがくれた。
いい1日だった。
2018年12月19日水曜日
懐かしいって何?
懐かしいって何?と理子が我々に聞いてきた。その問いかけは、まるでアンドロイドのようである。とはいえ、3歳から4歳にかけてようやく連続性というのか、昨日こうだったから、今こうだというのを理解し始めたので、「懐かしい」という意味も言葉もわからないわけだ。
懐かしいを説明するのは少し難しい。
どうやって説明しようかと、まず自分に懐かしいって何?と問いかけてみた。
すると、ポジティブな気持ちになったし、それこそ懐かしい気持ちになった。
「前にあった楽しかったことを思い出すことだよ」と理子にいう。
理解したのかどうかはわからないけれど「そうかー」と返事をする理子。
先日家族4人で初めて旅行をした。
飛行機に乗って、ホテルに泊まって、観光してご飯を食べて、みんなでお風呂に入った。
玲さんは2日目に発熱し、外は雨が降っていた。それでも結局4人が一日中いるというのが楽しかった。
玲さんはまだ早いけれど、いつの日か、理子にとってこんな日々を懐かしいと感じてもらえたら嬉しいと思った。
懐かしいを説明するのは少し難しい。
どうやって説明しようかと、まず自分に懐かしいって何?と問いかけてみた。
すると、ポジティブな気持ちになったし、それこそ懐かしい気持ちになった。
「前にあった楽しかったことを思い出すことだよ」と理子にいう。
理解したのかどうかはわからないけれど「そうかー」と返事をする理子。
先日家族4人で初めて旅行をした。
飛行機に乗って、ホテルに泊まって、観光してご飯を食べて、みんなでお風呂に入った。
玲さんは2日目に発熱し、外は雨が降っていた。それでも結局4人が一日中いるというのが楽しかった。
玲さんはまだ早いけれど、いつの日か、理子にとってこんな日々を懐かしいと感じてもらえたら嬉しいと思った。
2018年12月2日日曜日
一家パンデミック
先週金曜日の夜、理子が唐突に嘔吐した。
彼女はむっくりと起きだし、そして吐いた。その一寸前、花さんは母の直感なのか、やりとりがあったのか分からないが、その自分の手を受け手として、理子の口元にさしだした。そして吐瀉物は布団への直撃を免れた。
しかしながら飛沫は当然布団のみならずこの部屋全体として行き渡っている。
どうやって感染源を絶ち、かつ被害を拡大させないかを寝起きの頭で必死に考えて夫婦は行動した。
洗濯すべきものを風呂においやり、シングルの布団セットを別部屋へ移動した。なにせ4ヶ月の娘がいるのである。そちらへ感染してしまってはもう悲劇以外のなにものでもない。
片付けをしながらも、なおも理子は吐いてしまう。胃の中が空になるまで、一番つらいパターン。防水シーツを敷いてももはや意味はなく、ゲロの飛沫は全くロマンティックなそれではなかった。
片付けをしているなか、頭の中では別のことを考えていた。昼間に行った人ごみに溢れた某感謝祭がいけなかったんだろうか。完全にもらってしまったにちがいない。
花さんには玲さんを別室で見てもらい、僕は理子と一緒に寝た。結局のところ、その日、理子は胃液だけになるまで吐き続けた。寝ながらもやはり吐いてしまう。そしてどうしても喉が乾くようで、「口をゆすぐだけにして」といって水を渡して桶にそれを吐かせた。
少し落ち着いて寝に入るのだけど、ふとしたときに起きて、水をこっそり飲んでしまった。するとものの数分後にはそれをまた吐いてしまう。水を飲んだら吐くという因果関係をまだ理解できない。だから僕が理子に嫌がらせをしているとしか思えないようで、「なんで飲んじゃだめなの」と涙ながらに言うのであった。
結局寝付いたのは深夜を大きく過ぎた頃だったように思う。
日付が変わった頃、隣の部屋で花さんは1歳年を重ねた。
翌日病院へ行くと胃腸炎と診断される。
日曜日、今度は玲さんが吐く。
僕の認識では、母乳を通して、赤ちゃんはこういった病気にはならないと思っていたのだけど、花さん自体が胃腸炎的なものの抗体を持っていなかったようだ。
4ヶ月の子がただただ白い液を吐く、ごぼごぼとした音は本当に聞いていて辛かった。そしてやはりこういったことは布団に入って寝静まった頃に起きるのであった。
火曜日、今度は花さんが吐く。
完全に一家パンデミックである。次々に家族を襲っていく。完全隔離体制である。理子を久々に延長保育した。理子には「ママが病気になったから、パパの言うことをちゃんと聞くんだよ」と言い聞かせた。
保育園で先生にママのことを話すと、隣で話を聞いていた理子が泣き出してしまった。
母はいつも優しくて強いというものなのかもしれない。
木曜日、ついに自分が逝ってしまわれる。
木曜に校了のものがあり、それで安心してしまったのかもしれない。夜中に寒気がしてきて、寝て1時間で起きてしまった。吐き気、腹痛、頭痛、発熱。
僕はまた2次災害を避けるべく、布団を隔離部屋へ移して一人で寝た。
金曜日は仕事を休ませてもらい、療養した。
いくら手洗いを細かくしても、マスクをしても、かかってしまうものはかかってしまうようである。
この冬にあと何度こういったことが起こるのか、考えただけでも恐ろしい。
彼女はむっくりと起きだし、そして吐いた。その一寸前、花さんは母の直感なのか、やりとりがあったのか分からないが、その自分の手を受け手として、理子の口元にさしだした。そして吐瀉物は布団への直撃を免れた。
しかしながら飛沫は当然布団のみならずこの部屋全体として行き渡っている。
どうやって感染源を絶ち、かつ被害を拡大させないかを寝起きの頭で必死に考えて夫婦は行動した。
洗濯すべきものを風呂においやり、シングルの布団セットを別部屋へ移動した。なにせ4ヶ月の娘がいるのである。そちらへ感染してしまってはもう悲劇以外のなにものでもない。
片付けをしながらも、なおも理子は吐いてしまう。胃の中が空になるまで、一番つらいパターン。防水シーツを敷いてももはや意味はなく、ゲロの飛沫は全くロマンティックなそれではなかった。
片付けをしているなか、頭の中では別のことを考えていた。昼間に行った人ごみに溢れた某感謝祭がいけなかったんだろうか。完全にもらってしまったにちがいない。
花さんには玲さんを別室で見てもらい、僕は理子と一緒に寝た。結局のところ、その日、理子は胃液だけになるまで吐き続けた。寝ながらもやはり吐いてしまう。そしてどうしても喉が乾くようで、「口をゆすぐだけにして」といって水を渡して桶にそれを吐かせた。
少し落ち着いて寝に入るのだけど、ふとしたときに起きて、水をこっそり飲んでしまった。するとものの数分後にはそれをまた吐いてしまう。水を飲んだら吐くという因果関係をまだ理解できない。だから僕が理子に嫌がらせをしているとしか思えないようで、「なんで飲んじゃだめなの」と涙ながらに言うのであった。
結局寝付いたのは深夜を大きく過ぎた頃だったように思う。
日付が変わった頃、隣の部屋で花さんは1歳年を重ねた。
翌日病院へ行くと胃腸炎と診断される。
日曜日、今度は玲さんが吐く。
僕の認識では、母乳を通して、赤ちゃんはこういった病気にはならないと思っていたのだけど、花さん自体が胃腸炎的なものの抗体を持っていなかったようだ。
4ヶ月の子がただただ白い液を吐く、ごぼごぼとした音は本当に聞いていて辛かった。そしてやはりこういったことは布団に入って寝静まった頃に起きるのであった。
火曜日、今度は花さんが吐く。
完全に一家パンデミックである。次々に家族を襲っていく。完全隔離体制である。理子を久々に延長保育した。理子には「ママが病気になったから、パパの言うことをちゃんと聞くんだよ」と言い聞かせた。
保育園で先生にママのことを話すと、隣で話を聞いていた理子が泣き出してしまった。
母はいつも優しくて強いというものなのかもしれない。
木曜日、ついに自分が逝ってしまわれる。
木曜に校了のものがあり、それで安心してしまったのかもしれない。夜中に寒気がしてきて、寝て1時間で起きてしまった。吐き気、腹痛、頭痛、発熱。
僕はまた2次災害を避けるべく、布団を隔離部屋へ移して一人で寝た。
金曜日は仕事を休ませてもらい、療養した。
いくら手洗いを細かくしても、マスクをしても、かかってしまうものはかかってしまうようである。
この冬にあと何度こういったことが起こるのか、考えただけでも恐ろしい。
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