懐かしいって何?と理子が我々に聞いてきた。その問いかけは、まるでアンドロイドのようである。とはいえ、3歳から4歳にかけてようやく連続性というのか、昨日こうだったから、今こうだというのを理解し始めたので、「懐かしい」という意味も言葉もわからないわけだ。
懐かしいを説明するのは少し難しい。
どうやって説明しようかと、まず自分に懐かしいって何?と問いかけてみた。
すると、ポジティブな気持ちになったし、それこそ懐かしい気持ちになった。
「前にあった楽しかったことを思い出すことだよ」と理子にいう。
理解したのかどうかはわからないけれど「そうかー」と返事をする理子。
先日家族4人で初めて旅行をした。
飛行機に乗って、ホテルに泊まって、観光してご飯を食べて、みんなでお風呂に入った。
玲さんは2日目に発熱し、外は雨が降っていた。それでも結局4人が一日中いるというのが楽しかった。
玲さんはまだ早いけれど、いつの日か、理子にとってこんな日々を懐かしいと感じてもらえたら嬉しいと思った。
2018年12月19日水曜日
2018年12月2日日曜日
一家パンデミック
先週金曜日の夜、理子が唐突に嘔吐した。
彼女はむっくりと起きだし、そして吐いた。その一寸前、花さんは母の直感なのか、やりとりがあったのか分からないが、その自分の手を受け手として、理子の口元にさしだした。そして吐瀉物は布団への直撃を免れた。
しかしながら飛沫は当然布団のみならずこの部屋全体として行き渡っている。
どうやって感染源を絶ち、かつ被害を拡大させないかを寝起きの頭で必死に考えて夫婦は行動した。
洗濯すべきものを風呂においやり、シングルの布団セットを別部屋へ移動した。なにせ4ヶ月の娘がいるのである。そちらへ感染してしまってはもう悲劇以外のなにものでもない。
片付けをしながらも、なおも理子は吐いてしまう。胃の中が空になるまで、一番つらいパターン。防水シーツを敷いてももはや意味はなく、ゲロの飛沫は全くロマンティックなそれではなかった。
片付けをしているなか、頭の中では別のことを考えていた。昼間に行った人ごみに溢れた某感謝祭がいけなかったんだろうか。完全にもらってしまったにちがいない。
花さんには玲さんを別室で見てもらい、僕は理子と一緒に寝た。結局のところ、その日、理子は胃液だけになるまで吐き続けた。寝ながらもやはり吐いてしまう。そしてどうしても喉が乾くようで、「口をゆすぐだけにして」といって水を渡して桶にそれを吐かせた。
少し落ち着いて寝に入るのだけど、ふとしたときに起きて、水をこっそり飲んでしまった。するとものの数分後にはそれをまた吐いてしまう。水を飲んだら吐くという因果関係をまだ理解できない。だから僕が理子に嫌がらせをしているとしか思えないようで、「なんで飲んじゃだめなの」と涙ながらに言うのであった。
結局寝付いたのは深夜を大きく過ぎた頃だったように思う。
日付が変わった頃、隣の部屋で花さんは1歳年を重ねた。
翌日病院へ行くと胃腸炎と診断される。
日曜日、今度は玲さんが吐く。
僕の認識では、母乳を通して、赤ちゃんはこういった病気にはならないと思っていたのだけど、花さん自体が胃腸炎的なものの抗体を持っていなかったようだ。
4ヶ月の子がただただ白い液を吐く、ごぼごぼとした音は本当に聞いていて辛かった。そしてやはりこういったことは布団に入って寝静まった頃に起きるのであった。
火曜日、今度は花さんが吐く。
完全に一家パンデミックである。次々に家族を襲っていく。完全隔離体制である。理子を久々に延長保育した。理子には「ママが病気になったから、パパの言うことをちゃんと聞くんだよ」と言い聞かせた。
保育園で先生にママのことを話すと、隣で話を聞いていた理子が泣き出してしまった。
母はいつも優しくて強いというものなのかもしれない。
木曜日、ついに自分が逝ってしまわれる。
木曜に校了のものがあり、それで安心してしまったのかもしれない。夜中に寒気がしてきて、寝て1時間で起きてしまった。吐き気、腹痛、頭痛、発熱。
僕はまた2次災害を避けるべく、布団を隔離部屋へ移して一人で寝た。
金曜日は仕事を休ませてもらい、療養した。
いくら手洗いを細かくしても、マスクをしても、かかってしまうものはかかってしまうようである。
この冬にあと何度こういったことが起こるのか、考えただけでも恐ろしい。
彼女はむっくりと起きだし、そして吐いた。その一寸前、花さんは母の直感なのか、やりとりがあったのか分からないが、その自分の手を受け手として、理子の口元にさしだした。そして吐瀉物は布団への直撃を免れた。
しかしながら飛沫は当然布団のみならずこの部屋全体として行き渡っている。
どうやって感染源を絶ち、かつ被害を拡大させないかを寝起きの頭で必死に考えて夫婦は行動した。
洗濯すべきものを風呂においやり、シングルの布団セットを別部屋へ移動した。なにせ4ヶ月の娘がいるのである。そちらへ感染してしまってはもう悲劇以外のなにものでもない。
片付けをしながらも、なおも理子は吐いてしまう。胃の中が空になるまで、一番つらいパターン。防水シーツを敷いてももはや意味はなく、ゲロの飛沫は全くロマンティックなそれではなかった。
片付けをしているなか、頭の中では別のことを考えていた。昼間に行った人ごみに溢れた某感謝祭がいけなかったんだろうか。完全にもらってしまったにちがいない。
花さんには玲さんを別室で見てもらい、僕は理子と一緒に寝た。結局のところ、その日、理子は胃液だけになるまで吐き続けた。寝ながらもやはり吐いてしまう。そしてどうしても喉が乾くようで、「口をゆすぐだけにして」といって水を渡して桶にそれを吐かせた。
少し落ち着いて寝に入るのだけど、ふとしたときに起きて、水をこっそり飲んでしまった。するとものの数分後にはそれをまた吐いてしまう。水を飲んだら吐くという因果関係をまだ理解できない。だから僕が理子に嫌がらせをしているとしか思えないようで、「なんで飲んじゃだめなの」と涙ながらに言うのであった。
結局寝付いたのは深夜を大きく過ぎた頃だったように思う。
日付が変わった頃、隣の部屋で花さんは1歳年を重ねた。
翌日病院へ行くと胃腸炎と診断される。
日曜日、今度は玲さんが吐く。
僕の認識では、母乳を通して、赤ちゃんはこういった病気にはならないと思っていたのだけど、花さん自体が胃腸炎的なものの抗体を持っていなかったようだ。
4ヶ月の子がただただ白い液を吐く、ごぼごぼとした音は本当に聞いていて辛かった。そしてやはりこういったことは布団に入って寝静まった頃に起きるのであった。
火曜日、今度は花さんが吐く。
完全に一家パンデミックである。次々に家族を襲っていく。完全隔離体制である。理子を久々に延長保育した。理子には「ママが病気になったから、パパの言うことをちゃんと聞くんだよ」と言い聞かせた。
保育園で先生にママのことを話すと、隣で話を聞いていた理子が泣き出してしまった。
母はいつも優しくて強いというものなのかもしれない。
木曜日、ついに自分が逝ってしまわれる。
木曜に校了のものがあり、それで安心してしまったのかもしれない。夜中に寒気がしてきて、寝て1時間で起きてしまった。吐き気、腹痛、頭痛、発熱。
僕はまた2次災害を避けるべく、布団を隔離部屋へ移して一人で寝た。
金曜日は仕事を休ませてもらい、療養した。
いくら手洗いを細かくしても、マスクをしても、かかってしまうものはかかってしまうようである。
この冬にあと何度こういったことが起こるのか、考えただけでも恐ろしい。
2018年11月19日月曜日
表参道
「世界で一番美しいのは誰?」と、隣で寝ている理子が寝言を言った。僕はその時もう起きていて、iPhoneを見ていた。
あまりにクリアに言うものだから、起きたのかな?とも思ったけれど、その後に続く言葉が出てこなかったし、まだ目を瞑っているから、それは完全に寝言であるらしかった。
最初何を言っているのかわからなかったけど、すぐに「鏡よ鏡に続くのね」と理解した。しかし娘よ、よりによって白雪姫ではなくなぜ「お妃さま」のほうなんだ?
11月には花さんの誕生日があり、果たしてなにを送ろうかと考えあぐねていた。先日2017年版の花ブックをようやく上梓することができ、長い2017年を終わらせたばかりだ。
花ブックとプレゼントは別物なので、なにかしらを送るつもりでいたのだけど、何がいいかしら?と3ヶ月前くらいから悩み続けていたのであった。
そういう状況であることを黙っていられないので、つい花さんに「誕生日プレゼントのことなんだけど」と話してしまう。
見当違いのものをあげてしまうことほど虚しいことはないし、使われないまま仕舞われてしまった時は目も当てられない。
しかし花さんというのは「プラダのバッグが欲しい」とかいうような女性ではないのであった。
結局の所、普段の生活を見ていて、リュック難民であることに検討をつけ、「リュックはどう?」と聞くと、それがいいということになった。
少し前、エルベシャプリエのカーキ色のリュックを、花さんはよく使っていたのだけど、二子玉によく行く我々の行動範囲内で、それを使っている人が本当に数多く存在していた。
理子の成長とともにお出かけの際の荷物が減っていったこともあり、リュックは使わなくなっていったのだけど、玲さんの誕生とともにやはりリュックが便利であった。
そうして私はギャルソンのリュックを提案した。リュックのサイズ感は背負ってみないとわからないから、今度の週末にお店に行ってみようと言って、実際に昨日、四半世紀ぶりに家族で表参道へと馳せ参じた。
玲さんがベビーカーに乗り、理子は歩くことになったが、しばらくすると抱っこしてと言う。
表参道に着くと、まずご飯を食べた。たまに行くオープンエアのコミューン2ndという屋台が並んだ場所。
僕はタイカレー、花さんはシーフードフライ。理子はポテトばかり食べるので、僕が食べ終わった後に、近くのコンビニで納豆巻きを買って食べた。
道中、理子はどんぐりを拾って、「誕生日プレゼントね」とママに渡すために僕のポケットにそっと忍ばせていた。
その後ギャルソンへ。一昔前だと子供を連れて店に入ることなどまったく想像の外の話であったけど、ツーリストで溢れた店内は我々が浮いて見えることなどなかった。
お目当のリュックをマイナーチェンジを繰り返して定期的に売られているものなので、当然置いてあった。
そうして花さんに背負ってもらうと、「ではこれを」という話にあいなった。
そんなやりとりをしていると、理子がどうしてもベビーカーに乗りたいというので、仕方なく理子と玲さんを入れ替えた。店内でこんなことをするなど思いもしなかったのだけど。
店を出てしばらくすると、理子は寝た。もはやそのベビーカーに対して体はとても大きく、窮屈に見えたのだけど、彼女にとって表参道など起きているに価値しない町なのであろう。
これを契機とまずは表参道ヒルズで玲さんケアをする。理子がまだ授乳を必要としていた際、よく訪れていた地下のスペースへ。そう思い返してみれば、理子がまだ小さい頃は表参道にもたまには来ていたのだなと思い返す。
玲さんは授乳の際、花さんの顔をじっと見ながら飲む。そうやって繋がっている。
だからなのか、ケープを使って隠しながらやると激しく抵抗するため、結局こういった授乳室の存在が欠かせない。
玲さんの空腹が満たされるとキャットストリートの「6」のお店へ行く。僕が「行ってみたほうがいいよ」と言い続けていたのがようやく果たされる。
花さんは目をキラキラさせている。よくよくラックを見ていると「おや?あれもこれもそれも花さんのクローゼットで見たことある」という程、ここのところ花さんの心をキャッチしているブランドである。
店内には花屋も併設していて、偽りのない花の香りが漂っていていい空間だった。
店を出るとニックナイトの展示が行われているthe massへ行く。ちょうど理子は眠りから目を覚ました。
ベビーカーを入り口で預かってもらい、中に入る。オープ二ングの時は人が多くいたから、今回はゆっくり見ることができた。理子に「どれが好き?」と聞くと、「ピンクの!」という。僕も同じ作品がいいと思っていたから嬉しかった。
東京に住んでいてよかったなと思うのは本物に触れることのできる環境が近くにあるということかな、と思う。
展示を見終わると、動線がイマイチな地下鉄を乗って家に帰る。
プレゼントに買ったリュックを「背負ってみたら?」と僕が言うと「誕生日まで待つよ、理子の誕生日の時にもそう言い聞かせたしね」という。
そんな彼女の誕生日は来週末である。
2018年10月26日金曜日
不在
先週の土曜日、花さんたちは青森の実家に帰った。
「妻が実家に帰りましてね」
「それは大変でしたね、何があったんですか?」となりそうなフレーズである。
上野駅まで3人を見送り、改札を抜けて姿が見えなくなるまでそこに留まったのだけど、あっという間に群衆の中に彼女たちは消えていった。
東北新幹線は予約席だから確実に座れるのだけど、3ヶ月の子と4歳児の組み合わせは、快適な旅が約束されたものとは程遠いことが予想された。どうか無事にと願い、そこを去った。
せっかく上野まで来たから、「デュシャン」を見に行った。フィラデルフィア美術館にある彼の作品群が日本にやってきたようだ。混んでいることもなく、一通りみて、また入り口まで戻って2周見た。展示物の写真撮影が可能だったため、いたるところでパシャ、とiPhoneの音がする。僕も何枚か撮った。
その後、久々に上野を散策し、スカイザバスハウスに行った。天気はとてもよく、着ていた上着はずっと手で持っていた。
アメ横に行くと、中田商店に行った。古本屋を探して覗いたり、気ままに歩いた。
土曜日はそんな風にして終わった。
日曜は部屋の掃除をして、ギャラリーを見て歩き回り、NIKKIで髪を切った。
「誰かと飲んできたら?」と花さんはいったのだけど、普段から誰かを誘って飲みに行くなど滅多にしない僕は、結局のところ、仕事が終わると神保町に行って古本屋を漁ったりしただけだった。
一人になったからといって、いつもとは違うことをするのは少し難しい。
妻と子供がいなくて羽を伸ばせる、という人もいるのだろうけど、そんなことを感じたのは風呂に入っている時と布団の中で理子に寝返りの裏拳チョップを食らわずに寝続けることができた、というくらいだ。
そういったわけで、水曜に彼女たちが帰ってきたときはとても安心した。ようやく日常が戻ってきた。話し相手がいない朝ごはんはとても寂しいし、時間に余裕があるくせに、遅刻をしてしまった。弛緩しているのである。
やっぱり4人で我々なのである。
2018年10月18日木曜日
ピンクをこよなく愛する女
遺伝子に組み込まれているのか知らないけれど、理子はピンクをこよなく愛している。
我々夫婦の遺伝子にはないからおそらく突然変異である。
朝、花さんが理子の着替えを用意している。
秋も深まってきたことだし、えんじ色のズボンを履かせよう。
それに合わせるのは、この間買ったフルーツオブザブルームのロンTにしよう。
花さんが選ぶに至る思考が、手に取るようにわかるコーディネートだ。
僕は少し離れたところから、「うんうん、おしゃれだ。用賀一おしゃれだ」などと思いながら見ている。
しかし同時に、こうも思う。「絶対これ着てくれない」と。
「理子ーお着替えしよう!」と花さんが言った。
理子は提示された服を見るなり、「やだ」と言う。たったの2文字だけで気持ちを伝えることに成功している。
花さんも分かっている。着てくれないことくらい。我々にはいつもプランBがあるのだ。
しかし今回はそれすらもダメだった。おそらく服ではないところに不機嫌になる要素があるらしい。面倒な女である。その感情を着替えに持ち込まないでいただきたいものだ。
うすら寒いけど、ピンク色の半袖を選ぶ。そして、ズボンも、ピンク色を選んでしまう理子。
この時期に着ることのできる薄手のアウターは、悲しいかな理子の好きなピンク色のスカジャン。そして靴もピンク色であった。
もう仕方がない。
全身ピンクとなった理子はご満悦で家を出る。マンションの清掃のおじいさんにもご機嫌で挨拶をする。孫が同い年くらいだという彼の目は、優しいおじいちゃんそのもので、全身ピンクだろうが関係なく可愛く映っているようである。
方や、私といえば全身黒。どうしてこうなってしまうのかしら。
「クリストファーネメスの娘も小さな頃はセーラームーンの服を着ていたのよ」
そんな言葉が私の心の支えになっている。
我々夫婦の遺伝子にはないからおそらく突然変異である。
朝、花さんが理子の着替えを用意している。
秋も深まってきたことだし、えんじ色のズボンを履かせよう。
それに合わせるのは、この間買ったフルーツオブザブルームのロンTにしよう。
花さんが選ぶに至る思考が、手に取るようにわかるコーディネートだ。
僕は少し離れたところから、「うんうん、おしゃれだ。用賀一おしゃれだ」などと思いながら見ている。
しかし同時に、こうも思う。「絶対これ着てくれない」と。
「理子ーお着替えしよう!」と花さんが言った。
理子は提示された服を見るなり、「やだ」と言う。たったの2文字だけで気持ちを伝えることに成功している。
花さんも分かっている。着てくれないことくらい。我々にはいつもプランBがあるのだ。
しかし今回はそれすらもダメだった。おそらく服ではないところに不機嫌になる要素があるらしい。面倒な女である。その感情を着替えに持ち込まないでいただきたいものだ。
うすら寒いけど、ピンク色の半袖を選ぶ。そして、ズボンも、ピンク色を選んでしまう理子。
この時期に着ることのできる薄手のアウターは、悲しいかな理子の好きなピンク色のスカジャン。そして靴もピンク色であった。
もう仕方がない。
全身ピンクとなった理子はご満悦で家を出る。マンションの清掃のおじいさんにもご機嫌で挨拶をする。孫が同い年くらいだという彼の目は、優しいおじいちゃんそのもので、全身ピンクだろうが関係なく可愛く映っているようである。
方や、私といえば全身黒。どうしてこうなってしまうのかしら。
「クリストファーネメスの娘も小さな頃はセーラームーンの服を着ていたのよ」
そんな言葉が私の心の支えになっている。
2018年10月16日火曜日
記憶
自分の一番古い記憶の場面は「幼稚園の園庭で、2階から先生に声をかけられている」という場面である。
でもそれは、2階から自分を見ている絵。つまり先生の目線で自分を見ているということなので、例えば夢を見たとかで、勝手に作られた映像を最古の記録としているのかもしれない。
そして、どうしてこんなこと覚えているんだろうということもいくつかある。
ふとした時に蘇ってきたり、かいだ匂いから思い出すこともある。
僕は毎日、日記を書いている時期があったから、記憶に関しては少し色濃く残す傾向があるのかもしれない。
ある日、保育園に行くと先生がピアノの練習をしていて、どうやら弾き間違いをしていたようだった。
そんな場面から、僕は小学校の卒業式当日のことを思い出した。
小学校最後の日、いつもより早く学校に着くと、1階の音楽室の脇を通った。
すると、ピアノの音が聞こえた。
それは「巣立ちの歌」で、定年間近の男の先生が式で弾く予定のものだった。
そのリズムは若干崩れていて、とても滑らかな指使いと言った風ではなかったし、どこか音を外しているような気がした。
当時の僕は、どうせならきちんと弾ける先生がやればいいのに、と思ったし、実際の式でも少し危なっかしい演奏だったと記憶している。
それでも、20年以上経っても、覚えているのはその時の情景である。
どうしてかはわからないけれど、中学の卒業式の時のことはまるで覚えていない。父親が撮影したビデオを繰り返し見たことによって、客観的な映像で覚えているに過ぎない。
新しいことよりも古いことの方が、その時の息遣いすら覚えていることがあるというのは、不思議なものだなと思う。
でもそれは、2階から自分を見ている絵。つまり先生の目線で自分を見ているということなので、例えば夢を見たとかで、勝手に作られた映像を最古の記録としているのかもしれない。
そして、どうしてこんなこと覚えているんだろうということもいくつかある。
ふとした時に蘇ってきたり、かいだ匂いから思い出すこともある。
僕は毎日、日記を書いている時期があったから、記憶に関しては少し色濃く残す傾向があるのかもしれない。
ある日、保育園に行くと先生がピアノの練習をしていて、どうやら弾き間違いをしていたようだった。
そんな場面から、僕は小学校の卒業式当日のことを思い出した。
小学校最後の日、いつもより早く学校に着くと、1階の音楽室の脇を通った。
すると、ピアノの音が聞こえた。
それは「巣立ちの歌」で、定年間近の男の先生が式で弾く予定のものだった。
そのリズムは若干崩れていて、とても滑らかな指使いと言った風ではなかったし、どこか音を外しているような気がした。
当時の僕は、どうせならきちんと弾ける先生がやればいいのに、と思ったし、実際の式でも少し危なっかしい演奏だったと記憶している。
それでも、20年以上経っても、覚えているのはその時の情景である。
どうしてかはわからないけれど、中学の卒業式の時のことはまるで覚えていない。父親が撮影したビデオを繰り返し見たことによって、客観的な映像で覚えているに過ぎない。
新しいことよりも古いことの方が、その時の息遣いすら覚えていることがあるというのは、不思議なものだなと思う。
2018年10月12日金曜日
絵本
「それ、違うよ」と理子は言う。寝る時に読み聞かせをしている絵本の話だ。
理子の成長とともに、絵本の質も変わった。単純なものでなく、きちんとストーリーがあるものになった。
ストーリーがあるということは話自体が長く、毎日読み聞かせるのもしんどくなってくる。それに、理子が選ぶのは大抵毎日同じ絵本なのだ。
だから、というわけでもないのだけど、ちょっと端折ってみたわけである。
一節を抜いてみたところ、冒頭のセリフである。
しかも理子は続けて、端折った部分をそらで言い始めるのであった。
これにはちょっと鳥肌がたった。読んでいた本はラプンツェルで、ちょうど魔女が出ているところだったこともある。
通しで読んだことはおそらく5回にも満たない。それなのにその文章を覚えているわけだ。
3歳の頃、もうすこし単純な絵本を読んでいる時も、こちらが読み聞かせていると、理子がその先を読むということがあって、「うちの子天才なんじゃないだろうか」と思ったものだ。しかし幼児期というのはそういうものらしく、勘違いするべからずとネットの民は語っていた。
とはいえ、このスポンジのような吸収力は凄まじい。
花さんと理子が、図書館に行って、本棚を眺めていたところ、『地球の歩き方』を見て、「ママの好きな本だ!」と言ったらしい。
本当に面白い子である。
理子の成長とともに、絵本の質も変わった。単純なものでなく、きちんとストーリーがあるものになった。
ストーリーがあるということは話自体が長く、毎日読み聞かせるのもしんどくなってくる。それに、理子が選ぶのは大抵毎日同じ絵本なのだ。
だから、というわけでもないのだけど、ちょっと端折ってみたわけである。
一節を抜いてみたところ、冒頭のセリフである。
しかも理子は続けて、端折った部分をそらで言い始めるのであった。
これにはちょっと鳥肌がたった。読んでいた本はラプンツェルで、ちょうど魔女が出ているところだったこともある。
通しで読んだことはおそらく5回にも満たない。それなのにその文章を覚えているわけだ。
3歳の頃、もうすこし単純な絵本を読んでいる時も、こちらが読み聞かせていると、理子がその先を読むということがあって、「うちの子天才なんじゃないだろうか」と思ったものだ。しかし幼児期というのはそういうものらしく、勘違いするべからずとネットの民は語っていた。
とはいえ、このスポンジのような吸収力は凄まじい。
花さんと理子が、図書館に行って、本棚を眺めていたところ、『地球の歩き方』を見て、「ママの好きな本だ!」と言ったらしい。
本当に面白い子である。
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