2014年4月12日土曜日
2014年3月27日木曜日
例のビデオ
僕と言う人間にもトラウマというものが一丁前にあって、
それはやはり幼少の頃の出来事が発端であった。
90年代初頭、それはやはり経済がバブルマックスな時代であり、
父親が勤めていた会社も例外ではなかった。
金持ちと言えばクルーザー。クルーザーと言えば金持ちの代名詞。
そんなクルーザーを、父が勤めていた会社では所有していた。
そして何故か、父は、船舶免許を取ったりしていた。
海の波のようになんだかフワフワとした時代だった。
とある夏の日、僕たち一家は会社の行事としてクルーザーに乗る事となった。
いくつかの家族とともにヨットハーバーへと出向き、
救命胴衣を身につけ沖へと出航する。
父は、お決まりのビデオカメラを持って、僕たち家族をレンズ越しに記録していく。
地元は、海まで歩いて行ける距離であり、
静かな夜には波音が聞こえるような環境であったにも関わらず、
遊泳禁止で、毎年なにかしら死人がでるようなところであったため
海には行けども入る事はなく、即ち海に免疫があったわけではなかった。
沖に到着すると、碇を下ろして食事などをとった。
大人たちは水上ジェットスキーやらゴムボートで遊んでいた。
照りつける太陽はまぶしく、普段日のあたらない部分の肌を容赦なく焼いた。
そんなとき、僕もゴムボートに乗ってみたい、と思った。
僕は近くにいたであろう親に、「あれに乗りたい」と多分言ったと思う。
そしてロープで括り付けられたそれに乗り込んだ。
果たして、そのゴムボートに乗ったのは僕だけだった。
兄も、母も、父も、そしてその他の大人たちが乗る事なく
ボートはクルーザーから離れていく。
あれ?っと思ったのもつかの間、ぐんぐん僕が乗ったボートは流されていく。
目の悪い僕は遠くに離れていくクルーザーをぼんやりと見つめる。
だれもボートが流されているのに気づいていない様子である。
マジかよ。
ボートは陸に近づいていく。
海水浴をしていたお姉さんに声をかけられる。
僕はそのとき泣いていた。
昔から僕は泣き虫だったんだ。
海も涙も塩っぱかった。
どうしたの?ぼく?おかあさんは?
声をかけられても絶望的な状態であった僕は
泣きじゃくるだけで、優しいお姉さんに返事をする事もできなかった。
致命的なことに、僕はボートのオールをこぐ技術を持ち合わせていなかった。
さらに僕は泳ぎが不得手である。
それでも仕方がないので、僕はボートについているロープを握りしめ、
泳いでクルーザーのもとへ戻る事にした。
しかしながら海は広く、寄せては返す波が思うように前に進ませてはくれなかった。
このまま僕は誰にも気づかれずにのたれ死ぬんじゃなかろうか、
いつも最悪な出来事を考えてしまうのはきっとこの頃からだったんだと思う。
その時、僕の方をめがけてやってくる水上ジェットスキー。
目が悪い僕は誰が乗っているか分からない。
お父さんだ!助けにきてくれたんだ!と思った。
なんて純粋な息子であろうか。
ところが来てくれたのはまったく違う人だった。
助けにきてくれたのは確かではあった。
クルーザーに戻ると、一人でいるときよりも激しく泣いた。
人の体温を感じて気が緩んだのだと思う。
そんな時、父がしていたことはなんだったか。
ビデオカメラを回している事だった。
息子が世界の終わりかのように泣きじゃくっているのに実に冷静な男である。
僕はこの日を境に海が嫌いになった。
まさにトラウマである。
時は流れて2014年。
実家に帰る度に、昔のビデオを見たい衝動に駆られ、
丁寧に整理されたビデオのタイトルを見てピックアップする。
「たすくとすぐるの太陽がいっぱい」
水曜ロードショーかのようなタイトルのそれは、
まさにあの夏を記録したビデオだった。
VHSのテープをデッキに入れ、再生する。
あのときに記憶が記録によって蘇る。
僕が広い海へと投げ出されていく。
あぁ、そっちから見た僕はそんなふうに映っていたのか。
「大変です。すぐるが流されてしまいました」
ご丁寧にテロップが入っている。
大変ですじゃねーよ!
クルーザーに戻り泣きじゃくる僕。
車に乗って家に帰るところも映像に押さえてある。
すごくふてくされた顔をしている僕。
よくグレなかったなと思う。
そんな例のビデオを、今度DVDに焼いて送ってくれるらしい。
「例のビデオをデジタル化しています。」
僕の父はユーモアに富んだ素敵な人です。
僕もあなたのようになりたい。
それはやはり幼少の頃の出来事が発端であった。
90年代初頭、それはやはり経済がバブルマックスな時代であり、
父親が勤めていた会社も例外ではなかった。
金持ちと言えばクルーザー。クルーザーと言えば金持ちの代名詞。
そんなクルーザーを、父が勤めていた会社では所有していた。
そして何故か、父は、船舶免許を取ったりしていた。
海の波のようになんだかフワフワとした時代だった。
とある夏の日、僕たち一家は会社の行事としてクルーザーに乗る事となった。
いくつかの家族とともにヨットハーバーへと出向き、
救命胴衣を身につけ沖へと出航する。
父は、お決まりのビデオカメラを持って、僕たち家族をレンズ越しに記録していく。
地元は、海まで歩いて行ける距離であり、
静かな夜には波音が聞こえるような環境であったにも関わらず、
遊泳禁止で、毎年なにかしら死人がでるようなところであったため
海には行けども入る事はなく、即ち海に免疫があったわけではなかった。
沖に到着すると、碇を下ろして食事などをとった。
大人たちは水上ジェットスキーやらゴムボートで遊んでいた。
照りつける太陽はまぶしく、普段日のあたらない部分の肌を容赦なく焼いた。
そんなとき、僕もゴムボートに乗ってみたい、と思った。
僕は近くにいたであろう親に、「あれに乗りたい」と多分言ったと思う。
そしてロープで括り付けられたそれに乗り込んだ。
果たして、そのゴムボートに乗ったのは僕だけだった。
兄も、母も、父も、そしてその他の大人たちが乗る事なく
ボートはクルーザーから離れていく。
あれ?っと思ったのもつかの間、ぐんぐん僕が乗ったボートは流されていく。
目の悪い僕は遠くに離れていくクルーザーをぼんやりと見つめる。
だれもボートが流されているのに気づいていない様子である。
マジかよ。
ボートは陸に近づいていく。
海水浴をしていたお姉さんに声をかけられる。
僕はそのとき泣いていた。
昔から僕は泣き虫だったんだ。
海も涙も塩っぱかった。
どうしたの?ぼく?おかあさんは?
声をかけられても絶望的な状態であった僕は
泣きじゃくるだけで、優しいお姉さんに返事をする事もできなかった。
致命的なことに、僕はボートのオールをこぐ技術を持ち合わせていなかった。
さらに僕は泳ぎが不得手である。
それでも仕方がないので、僕はボートについているロープを握りしめ、
泳いでクルーザーのもとへ戻る事にした。
しかしながら海は広く、寄せては返す波が思うように前に進ませてはくれなかった。
このまま僕は誰にも気づかれずにのたれ死ぬんじゃなかろうか、
いつも最悪な出来事を考えてしまうのはきっとこの頃からだったんだと思う。
その時、僕の方をめがけてやってくる水上ジェットスキー。
目が悪い僕は誰が乗っているか分からない。
お父さんだ!助けにきてくれたんだ!と思った。
なんて純粋な息子であろうか。
ところが来てくれたのはまったく違う人だった。
助けにきてくれたのは確かではあった。
クルーザーに戻ると、一人でいるときよりも激しく泣いた。
人の体温を感じて気が緩んだのだと思う。
そんな時、父がしていたことはなんだったか。
ビデオカメラを回している事だった。
息子が世界の終わりかのように泣きじゃくっているのに実に冷静な男である。
僕はこの日を境に海が嫌いになった。
まさにトラウマである。
時は流れて2014年。
実家に帰る度に、昔のビデオを見たい衝動に駆られ、
丁寧に整理されたビデオのタイトルを見てピックアップする。
「たすくとすぐるの太陽がいっぱい」
水曜ロードショーかのようなタイトルのそれは、
まさにあの夏を記録したビデオだった。
VHSのテープをデッキに入れ、再生する。
あのときに記憶が記録によって蘇る。
僕が広い海へと投げ出されていく。
あぁ、そっちから見た僕はそんなふうに映っていたのか。
「大変です。すぐるが流されてしまいました」
ご丁寧にテロップが入っている。
大変ですじゃねーよ!
クルーザーに戻り泣きじゃくる僕。
車に乗って家に帰るところも映像に押さえてある。
すごくふてくされた顔をしている僕。
よくグレなかったなと思う。
そんな例のビデオを、今度DVDに焼いて送ってくれるらしい。
「例のビデオをデジタル化しています。」
僕の父はユーモアに富んだ素敵な人です。
僕もあなたのようになりたい。
2014年3月22日土曜日
2014年1月30日木曜日
2014年1月21日火曜日
家族写真
家族写真っていいですね。
カメラを向けられたら、基本的には構えちゃうものだと思うのだけど
家族って距離はカメラを向けても自然体なのは崩れない。
ナチュラルな雰囲気のままフィルムに焼き付ける。
その瞬間をトリミングできてよかったと思える写真に出会えて私は嬉しい。
あと、フィルムカメラを持ってると、
僕は積極的に写真を撮ろうとするらしく、
昨日会った友だちに「そうやって写真に残してくれて嬉しい」というような事を言われた。
写真の原点。
記録を記憶に沿わせる。
写真っていいですね。
2014年1月19日日曜日
ファッションに触れる日
韓国二日目。
この日は、朝から市場で食事をすることにした。
HANAさんの案内で、ぐいぐいと道を進んでいく。
案内された一画は、ビニールカーテンで仕切られており、
同じような店が10件近く並んでいる。
中に入るや否や、一斉におばちゃんたちのかけ声が我々に浴びせられる。
うまいよ、座っていって、おいしいよ、席あるよ
知ってる日本語でとにかくまくしたてる。
どういったセンサーがあるのか知らないけれど、
日本人だとすぐに分かるらしい。
元々HANAさんの行きたい店というのがあったらしいのだけど、
どうやら違う店の席に座ってしまった模様。
しかしながら今更席を替える事もできず、ビビンバを注文した。
どっさりとよそられるキムチ。
サービスでつけられる冷麺。
肝心なビビンバも韓国で食べるとひと味違う。
朝っぱらからとても食べれる量じゃないくらいよそられており、
申し訳ないけれど残してしまった。
食べながらまわりの店の様子を見ていたのだけど、
どこも同じメニューだった。
そんななかで、人気ある店とそうでない店があった。
どうして同じ料理を出す店が10件近くも並ぶのだろう。
いろんな料理があって、それぞれの店の良さを出した方がよいのではないか、
とも思うのだけど、漁港の近くには刺身を出す店が乱立するようなものかと
納得することにした。
客は人気ある店に自然と入っていく。
売れてない店の呼び込みはかなわずであった。
この絵面は気分をちょっと、いわゆるブルーにした。
もの悲しげなおばちゃんの顔を見ながらすする冷麺は体を余計に冷やすのだ。
店を出ると、日本で言うところの新宿のような所を歩く。明洞という地域だ。
そこでA LANDというビームスのような店に入る。
前日に行ったファッションビルの店員とは明らかに違う雰囲気。
スタイリッシュで、むやみに近づいてこない。
ラックに陳列されてる服もどこか違う。
初めて上京した高校生の頃のような気分になって、服を見る。
やっぱり服が好きなのである。
あれこれ手に取って、can i try?
6着近く試着して、2着購入する事にした。
取り立てて安い訳ではなかった。
ビームスで買ったって同じ事なんだろうけど、ビームスで服は買わない。
その後も韓国版ユニクロを見たり、海苔の専門店で買い物したり、
ロッテデパートに行ったり、した。
一度ホテルに戻り、やはり一眠りすることにした。
実にゆとりある旅である。
1時間近くたってから、また街へと繰り出す。
今度行くのは青山のような場所である。
サムスン美術館へと向かった。
ここでは杉本博司の展覧会が行なわれていた。
銀座のギャラリー小柳で見たり、ブルータスの特集で見たりしたことがあったのだけど、
量感的にはかなり見応えのあるものだった。
受付でサムスンのタブレットを受け取っていたのだけど、
作品の前にたつと、自動的に作品を認識して解説を始めていた。
残念ながら日本語対応はしていなかった。
その後、常設展を見たのだけど、内容がかなり濃かった。
バスキア、ヨーゼフボイス、アンディウォーホル、ロスコ、サイトォンブリ、
リヒター、エドルシェ、ダミアンハースト、ジャコメッティまであった。
恐るべし韓国。片っ端から揃えた感がある。
サイトォンブリに関しては作品を初めて見られたので感動した。
あとはリヒター。存在感が半端なかった。
ミュージアムの入り口にある発光ダイオードを使った作品は宮島達夫であった。
このエリアは金持ちが多いらしく、走る車もヒュンダイとかではなく外車が多かった。
ミュージアムの近くにギャルソンがあった。
一階にはローズベーカリーが入っていて、ドーバーストリートマーケットと同じだ。
エレベーターで最上階までいって、特に買うものなどないけれど見て回った。
ちょっと前に始まったラインのものから、ビートルズのものやら
たぶんすべてのラインが揃っていた。
そして、店の導線がしっかりしていて、ストレスなく店内を回る事が出来た。
ここでも店員の髪型は川久保玲カットであった。
世界共通なのかしら。
ギャルソンを出ると、D&DEPARTMENTに行った。
日本でもおなじみのものからソウルオリジナルのものまであって面白かった。
HANAはiPhoneケースを買っていた。
その後も、またしてもA LANDに行って靴下を購入した。
なぜかバーコードがなかなか読み取れなかったらしく、
眼鏡をかけたしずちゃんみたいな女の店員は四苦八苦していた。
この日の夕飯は、またしてもディープな店だった。
韓国と言えば焼き肉というわけなのだけど、
ここの店は鉄板が円錐で、下部に溝がついていた。
どことなくジンギスカンの鉄板に近い。
円錐の上部で肉を焼き、油が溝に溜まる。
そこに溶いた生卵を流し込み、ネギやらにんにくやらキムチを混ぜて
スクランブルエッグ的に食べる訳である。
これはおいしかった。
最初に焼いた肉はハラミだったのだけど、塊でやってくるそれを、
HANAがはさみでチョキチョキと切っていく。
やはり訪韓数が違うのである。手慣れてらっしゃる。
その後も韓国語を駆使して注文を重ねていくHANA。
ちなみに韓国語で一つというのはハナなんだそう。
この日もノンアルコールな二人であった。
なんだかんだと歩き回って疲れていたのでタクシーで帰る事にした。
どうやら韓国はタクシー代が安いようである。
勘定もそこそこであった。
ホテル近くで降りる。屋台のようなものがでていたので、何かと思ってみて見ると、
どうやらパチもんを売りさばいてるようだった。
グッチ、ヴィトン、プラダなどというのは、パチもんのお決まりだと思うのだけど、
ひと味違うのは、モンクレールのダウンとかもある点だ。
さらには、GIVENCHYのバンビプリントスウェットという、マニアックなものまで
あったということだ。
スタイルドットコムでも見てるのかしら。
中国で生産してたものが流れてきてるとかなのか、実情は知らないけれど。
違反物だと分かって買い物をすると言うのは違法行為である。
皆様もお気をつけ下さい。
この日は、朝から市場で食事をすることにした。
HANAさんの案内で、ぐいぐいと道を進んでいく。
案内された一画は、ビニールカーテンで仕切られており、
同じような店が10件近く並んでいる。
中に入るや否や、一斉におばちゃんたちのかけ声が我々に浴びせられる。
うまいよ、座っていって、おいしいよ、席あるよ
知ってる日本語でとにかくまくしたてる。
どういったセンサーがあるのか知らないけれど、
日本人だとすぐに分かるらしい。
元々HANAさんの行きたい店というのがあったらしいのだけど、
どうやら違う店の席に座ってしまった模様。
しかしながら今更席を替える事もできず、ビビンバを注文した。
どっさりとよそられるキムチ。
サービスでつけられる冷麺。
肝心なビビンバも韓国で食べるとひと味違う。
朝っぱらからとても食べれる量じゃないくらいよそられており、
申し訳ないけれど残してしまった。
食べながらまわりの店の様子を見ていたのだけど、
どこも同じメニューだった。
そんななかで、人気ある店とそうでない店があった。
どうして同じ料理を出す店が10件近くも並ぶのだろう。
いろんな料理があって、それぞれの店の良さを出した方がよいのではないか、
とも思うのだけど、漁港の近くには刺身を出す店が乱立するようなものかと
納得することにした。
客は人気ある店に自然と入っていく。
売れてない店の呼び込みはかなわずであった。
この絵面は気分をちょっと、いわゆるブルーにした。
もの悲しげなおばちゃんの顔を見ながらすする冷麺は体を余計に冷やすのだ。
店を出ると、日本で言うところの新宿のような所を歩く。明洞という地域だ。
そこでA LANDというビームスのような店に入る。
前日に行ったファッションビルの店員とは明らかに違う雰囲気。
スタイリッシュで、むやみに近づいてこない。
ラックに陳列されてる服もどこか違う。
初めて上京した高校生の頃のような気分になって、服を見る。
やっぱり服が好きなのである。
あれこれ手に取って、can i try?
6着近く試着して、2着購入する事にした。
取り立てて安い訳ではなかった。
ビームスで買ったって同じ事なんだろうけど、ビームスで服は買わない。
その後も韓国版ユニクロを見たり、海苔の専門店で買い物したり、
ロッテデパートに行ったり、した。
一度ホテルに戻り、やはり一眠りすることにした。
実にゆとりある旅である。
1時間近くたってから、また街へと繰り出す。
今度行くのは青山のような場所である。
サムスン美術館へと向かった。
ここでは杉本博司の展覧会が行なわれていた。
銀座のギャラリー小柳で見たり、ブルータスの特集で見たりしたことがあったのだけど、
量感的にはかなり見応えのあるものだった。
受付でサムスンのタブレットを受け取っていたのだけど、
作品の前にたつと、自動的に作品を認識して解説を始めていた。
残念ながら日本語対応はしていなかった。
その後、常設展を見たのだけど、内容がかなり濃かった。
バスキア、ヨーゼフボイス、アンディウォーホル、ロスコ、サイトォンブリ、
リヒター、エドルシェ、ダミアンハースト、ジャコメッティまであった。
恐るべし韓国。片っ端から揃えた感がある。
サイトォンブリに関しては作品を初めて見られたので感動した。
あとはリヒター。存在感が半端なかった。
ミュージアムの入り口にある発光ダイオードを使った作品は宮島達夫であった。
このエリアは金持ちが多いらしく、走る車もヒュンダイとかではなく外車が多かった。
ミュージアムの近くにギャルソンがあった。
一階にはローズベーカリーが入っていて、ドーバーストリートマーケットと同じだ。
エレベーターで最上階までいって、特に買うものなどないけれど見て回った。
ちょっと前に始まったラインのものから、ビートルズのものやら
たぶんすべてのラインが揃っていた。
そして、店の導線がしっかりしていて、ストレスなく店内を回る事が出来た。
ここでも店員の髪型は川久保玲カットであった。
世界共通なのかしら。
ギャルソンを出ると、D&DEPARTMENTに行った。
日本でもおなじみのものからソウルオリジナルのものまであって面白かった。
HANAはiPhoneケースを買っていた。
その後も、またしてもA LANDに行って靴下を購入した。
なぜかバーコードがなかなか読み取れなかったらしく、
眼鏡をかけたしずちゃんみたいな女の店員は四苦八苦していた。
この日の夕飯は、またしてもディープな店だった。
韓国と言えば焼き肉というわけなのだけど、
ここの店は鉄板が円錐で、下部に溝がついていた。
どことなくジンギスカンの鉄板に近い。
円錐の上部で肉を焼き、油が溝に溜まる。
そこに溶いた生卵を流し込み、ネギやらにんにくやらキムチを混ぜて
スクランブルエッグ的に食べる訳である。
これはおいしかった。
最初に焼いた肉はハラミだったのだけど、塊でやってくるそれを、
HANAがはさみでチョキチョキと切っていく。
やはり訪韓数が違うのである。手慣れてらっしゃる。
その後も韓国語を駆使して注文を重ねていくHANA。
ちなみに韓国語で一つというのはハナなんだそう。
この日もノンアルコールな二人であった。
なんだかんだと歩き回って疲れていたのでタクシーで帰る事にした。
どうやら韓国はタクシー代が安いようである。
勘定もそこそこであった。
ホテル近くで降りる。屋台のようなものがでていたので、何かと思ってみて見ると、
どうやらパチもんを売りさばいてるようだった。
グッチ、ヴィトン、プラダなどというのは、パチもんのお決まりだと思うのだけど、
ひと味違うのは、モンクレールのダウンとかもある点だ。
さらには、GIVENCHYのバンビプリントスウェットという、マニアックなものまで
あったということだ。
スタイルドットコムでも見てるのかしら。
中国で生産してたものが流れてきてるとかなのか、実情は知らないけれど。
違反物だと分かって買い物をすると言うのは違法行為である。
皆様もお気をつけ下さい。
旅の続き
旅行の途中で一度ホテルに戻り、一眠りしてからまた街へと繰り出すというスタイルを
我々はいつの間にか習得していた。
僕にとっては不慣れな街なので、足腰がクタクタだったのだ。
僕たちはまず、古着屋がたくさん集結しているエリアへと向かった。
果たしてそこは、上野のアングラ地帯のようだった。
碁盤の目のように区画が分けられていて、所狭しとラックに服がかけられている。
ガイドブックには掘り出し物が見つかるなどと書かれていたのだけど、
僕たちがたどり着いたときには既に閉店間近の時間で、ゆっくり見る事ができなかった。
それと、店員さんが近寄って何か話しかけてくるのだけど、僕には理解できないので
そそくさと出てしまった。
その一帯を出ると、ファッションビルが立ち並ぶ、東大門というエリアへ行った。
高層ビルのネオンが煌びやかだ。
一つのビルに入ってみると、ラフォーレのような雰囲気だった。
レディースのフロアを一通り見て回る。
聞いた事のない、おそらく韓国のブランドのブースがいくつもあった。
acneだったり、GIVENCHYだったり、Stella McCartneyだったり、
要はハイファッションブランドのエキスを吸い取ったような服が並んでいた。
面白いのは、徹底的に似せてくるということだった。
ブランドの書体まで一緒だった。
そういった意味でなかなか見応えがあった。
メンズフロアも見てみると、店員は暇そうだった。
基本的に店先でスマフォを見ている。
そして店の前を客が通るとものすごく積極的に話しかけてくる。
僕の印象では、レディースのファッションにおいてはすごくハイを意識しているのに、
メンズはただただエグザイル的だった。
中には甘めのものもあるのだけど、なんともピンとこなかった。
このビルの近くには何件もビルが並んでいたので、違うビルにも入ってみたのだけど
違う店で、同じ商品が売られていた。
おそらく問屋が一緒なんだと思うけど、メンズに関してはまだ力を入れてないのかもしれない。
日本人を見ると、日本語で話しかけてくる。
パッと見で日本人と認識できるのか?と疑問に思った。
トルコに行ったときはコリアンか?って聞かれたものだけれど。
その後いくつかのビルを見て回ったものの、接客のしつこさに辟易してしまい、
チョンゲチョンという川辺の道を歩く事にした。
そこはいわゆるデートスポットらしい。
ライトアップされた少し雰囲気のある道だった。
HANAが作ったしおりに沿って、我々はタッカンマリを食べに、
ミョンドンタッカンマリというお店に行った。
その店名の通り、タッカンマリしかない店である。
地元民が集まりそうな食堂で、店に入って特になにも言わなくても
鍋とタレが用意される。このタレは自分で調合する。
僕は鶏肉を煮ただけの鍋と言うのが基本的には苦手なのだけど、
ここのは食べる事が出来た。
風邪を引いていた僕は、本場のマッコリを飲む事なく食事をした。
そして、鍋の締めにうどんを食べたのだけど、これまたおいしかった。
食を堪能したのち、予約してあったマッサージ屋へと行った。
店員さんも日本語が堪能だったし、日本の雑誌のコピーが店先に貼られていた。
日本語で僕が「日本人の客は多いのですか?」と聞くと多いと答えていた。
マッサージの内容はと言えば、スポーツマッサージと言う種類のもので、
全身をマッサージしてくれるものだった。
人生において、初の全身マッサージ。
正直、HANAさんに肩を揉まれるのでも拒否反応を起こしてしまう程
マッサージが苦手なのだけど、ペイするからにはその辺は我慢できるのではと思ったのだ。
服を着替えると、HANAと隣同士のベッドで横たわる。
日本語で「始めますよ」といわれ、なすがままに体をゆだねる。
基本的に痛い。
そして風邪をひいてるために、大量の鼻水が流出していた。
こんなので一時間も耐えられるのか!?と思っていたのだけど
いつの間にか虜になっている私だった。
実はMなのかもしれない。
うつぶせから仰向けに姿勢を変える際に、鼻をかんだら?といわれ放出した。
すると、「アイゴー」と言われた。可哀想にという意味らしい。
その後順調に僕の体をほぐしていく韓国のママン。
隣のベッドから時折聞こえるHANAのうめき声。
異国で何をしているんだろうと、ふと思う。
マッサージを終えると、温かいお茶を頂戴する。
そして会計を済ませて店を出た。
ホテルへと帰る途中、コンビニに寄ってチョコを買った。
ホテルの部屋に戻って、開封してみると、箱が上げ底になっていて、
商品の数が箱の見た目に対してすごく少なかった。
恐るべし韓国。ポテンシャル高いぜ。
我々はいつの間にか習得していた。
僕にとっては不慣れな街なので、足腰がクタクタだったのだ。
僕たちはまず、古着屋がたくさん集結しているエリアへと向かった。
果たしてそこは、上野のアングラ地帯のようだった。
碁盤の目のように区画が分けられていて、所狭しとラックに服がかけられている。
ガイドブックには掘り出し物が見つかるなどと書かれていたのだけど、
僕たちがたどり着いたときには既に閉店間近の時間で、ゆっくり見る事ができなかった。
それと、店員さんが近寄って何か話しかけてくるのだけど、僕には理解できないので
そそくさと出てしまった。
その一帯を出ると、ファッションビルが立ち並ぶ、東大門というエリアへ行った。
高層ビルのネオンが煌びやかだ。
一つのビルに入ってみると、ラフォーレのような雰囲気だった。
レディースのフロアを一通り見て回る。
聞いた事のない、おそらく韓国のブランドのブースがいくつもあった。
acneだったり、GIVENCHYだったり、Stella McCartneyだったり、
要はハイファッションブランドのエキスを吸い取ったような服が並んでいた。
面白いのは、徹底的に似せてくるということだった。
ブランドの書体まで一緒だった。
そういった意味でなかなか見応えがあった。
メンズフロアも見てみると、店員は暇そうだった。
基本的に店先でスマフォを見ている。
そして店の前を客が通るとものすごく積極的に話しかけてくる。
僕の印象では、レディースのファッションにおいてはすごくハイを意識しているのに、
メンズはただただエグザイル的だった。
中には甘めのものもあるのだけど、なんともピンとこなかった。
このビルの近くには何件もビルが並んでいたので、違うビルにも入ってみたのだけど
違う店で、同じ商品が売られていた。
おそらく問屋が一緒なんだと思うけど、メンズに関してはまだ力を入れてないのかもしれない。
日本人を見ると、日本語で話しかけてくる。
パッと見で日本人と認識できるのか?と疑問に思った。
トルコに行ったときはコリアンか?って聞かれたものだけれど。
その後いくつかのビルを見て回ったものの、接客のしつこさに辟易してしまい、
チョンゲチョンという川辺の道を歩く事にした。
そこはいわゆるデートスポットらしい。
ライトアップされた少し雰囲気のある道だった。
HANAが作ったしおりに沿って、我々はタッカンマリを食べに、
ミョンドンタッカンマリというお店に行った。
その店名の通り、タッカンマリしかない店である。
地元民が集まりそうな食堂で、店に入って特になにも言わなくても
鍋とタレが用意される。このタレは自分で調合する。
僕は鶏肉を煮ただけの鍋と言うのが基本的には苦手なのだけど、
ここのは食べる事が出来た。
風邪を引いていた僕は、本場のマッコリを飲む事なく食事をした。
そして、鍋の締めにうどんを食べたのだけど、これまたおいしかった。
食を堪能したのち、予約してあったマッサージ屋へと行った。
店員さんも日本語が堪能だったし、日本の雑誌のコピーが店先に貼られていた。
日本語で僕が「日本人の客は多いのですか?」と聞くと多いと答えていた。
マッサージの内容はと言えば、スポーツマッサージと言う種類のもので、
全身をマッサージしてくれるものだった。
人生において、初の全身マッサージ。
正直、HANAさんに肩を揉まれるのでも拒否反応を起こしてしまう程
マッサージが苦手なのだけど、ペイするからにはその辺は我慢できるのではと思ったのだ。
服を着替えると、HANAと隣同士のベッドで横たわる。
日本語で「始めますよ」といわれ、なすがままに体をゆだねる。
基本的に痛い。
そして風邪をひいてるために、大量の鼻水が流出していた。
こんなので一時間も耐えられるのか!?と思っていたのだけど
いつの間にか虜になっている私だった。
実はMなのかもしれない。
うつぶせから仰向けに姿勢を変える際に、鼻をかんだら?といわれ放出した。
すると、「アイゴー」と言われた。可哀想にという意味らしい。
その後順調に僕の体をほぐしていく韓国のママン。
隣のベッドから時折聞こえるHANAのうめき声。
異国で何をしているんだろうと、ふと思う。
マッサージを終えると、温かいお茶を頂戴する。
そして会計を済ませて店を出た。
ホテルへと帰る途中、コンビニに寄ってチョコを買った。
ホテルの部屋に戻って、開封してみると、箱が上げ底になっていて、
商品の数が箱の見た目に対してすごく少なかった。
恐るべし韓国。ポテンシャル高いぜ。
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