2012年7月28日土曜日

3rd day




カッパドキアの奇怪な岩を、上空から眺めるとどうなるのだろう?
古代の人たちもそのように思ったに違いない。
現代では、気球に乗るという方法でそれをクリアできる。

朝早く、6時頃に目を覚ました。辺りはまだぼんやり薄暗い。
唐突に部屋のドアを叩く音がする。
「気球ツアーの集合時間ですよ」
意外にも朝早くから働くトルコ人にたしなめられ、いそいそと出かける準備をする。
受付場所まで車で行くと、世界各国から多くの人が集まっていた。
果たして今日の天候はどうなのか、気温は高いのか低いのか。
みなそれぞれが情報をかき集めた結果、ノースリーブの人もいれば、ウインドブレーカーを着込んだ人もいた。
僕は長袖のシャツを羽織りHANAはパーカーを着ていた。

受付のコテージのようなところでは、モーニングが用意されており、
僕たちは果物とコーヒーを手に取り時間を待った。
しばらくすると、用意ができたようで、決められた乗客数の気球に合わせて集合し
車に乗って高原へと向かった。

20分程走ると人家は消え、だだっ広いところへと出た。
そこでは今まさに、巨大なガスバーナーのようなもので気球を膨らませているところだった。
「ヴォー」
静かな大地に鳴り響く。
地面にべったりとついていたバルーンが次第に宙へと上がって、イメージ通りの気球の形となった。
気球の操縦士は陽気な白人で、どうやら自分の子供に、準備の手伝いをさせているらしい。
パフォーマンスなのか、SL機関車の汽笛のように、
その子供がバーナーのレバーを何度も引いて轟音を鳴らしていた。

気球のバスケット部分には、4人程度が乗れるように区分けされていて
思っていたよりもかなりゆったりとした作りになっていた。
計15人程が乗り込むと、気球は静かに大地から離れていった。
それぞれの国の人たちが、それぞれに感嘆の声を上げた。
空から眺めるカッパドキア。
低い位置から静かに朝日が山々を照らす。
何千年と繰り返されているであろう光景の一日を体験する。
高度はどのくらいなのか分からないけれど、人が豆粒に見えるくらいの高さになった。
時折、陽気な操縦士は英語でジョークを言っては、英語圏の人たちを笑わせていた。
辺りを見渡すと、色とりどりの気球が至る所に浮かんでいる。
何十もの気球が浮かぶ姿は実に壮大で、どこかで「amazing…」と聞こえた。
ドイツ人の親子がいたのだけれど、子供が終止泣いていた。
母親が抱きしめて慰め、父親は高そうな一眼レフで何度も風景の写真を撮っていた。

台形の形をした山の向こうから、朝日が上る。
静寂が辺りを包む。
だれも言葉を発しない。
息をのむ。
圧倒的なものを見たときには、人はなにも言わなくなるようだ。

1時間程の空中遊覧も、体感的にはものすごく短かった。
陽気な操縦士はトランシーバーで地上のクルーと連絡をとり、着地ポイントを見定めていた。
気球は次第に地表に近づいていく。気球の影がくっきりと形作られる。
「しっかりとクッションにつかまるように」とアナウンスされ、乗客が一瞬緊張する。
器用な操縦によって車の荷台に気球のかごが乗っかると、地上にいたクルーがバルーンの回収にとりかかる。
誰からともなく拍手が起こり、みんなで感動を分かち合った。
着陸と同時にテーブルが用意され、どこからともなくシャンパンと人数分のグラスが持ち込まれる。
それぞれの手にグラスが行き渡り乾杯をした。
すがすがしい朝に、何もない高原のど真ん中で世界各地の人間たちが一つになっていた。
このときの高揚感はアルコールのせいだけじゃないはずだ。



車でホテルまで戻り、朝食をとった。
昨日話しかけてきたホテルのオーナーは、今日も話しかけてきた。
気球に乗ったことを話すと、満足したようで違うテーブルに移っていった。
時折、野良猫が足下にすり寄ってきた。トルコには猫がたくさんいた。
日本の猫と違い、すごく人懐っこい。トルコの国民性を表しているのかもしれない。

部屋に戻って身支度を整えると、レンタサイクル屋に行って自転車を2台借りた。
かなり適当に書かれた地図を片手に出発して、少し心配だったけれど、
基本的に直進しかないので、ひたすらにペダルをこいだ。
目的の場所、適当に進んだ道。ただひたすらに走り、時々立ち止まって水を飲んだ。
進んでも進んでも、奇怪な山たちは僕たちの目を楽しませた。
10キロ先の町にも行った。
汗だくになりながら、ひたすらに続く長い道を進んでいく。
腕まくりをした、普段日のあたらない箇所は、まるでやけどのように赤くなっていく。
やっと町にたどり着くと、すぐさまエアコンの効いたレストランに入った。
日本人に親切なトルコ人たちは、入れ替わり立ち代わり僕たちに質問をし、
また、日本製のバイクがいかに優れているかをプレゼンしていた。

食事を終えると、川にかかった吊り橋を渡り、緑道にあるベンチで休んだ。
通りかかる人たちが、僕たちを物珍しそうに見ている。
どこからきたの?コリアン?アニョハセヨ
アイムジャパニーズ。こんにちは。
僕は決まって答える。
僕の返事に彼らが満足したのかどうかはわからない。
そもそも彼らにとっては僕の答えなどどうでもいいのかもしれない。


目的がある10キロはがんばれても、帰るだけの10キロはただただ苦痛であった。
太陽光を遮るもののない直線の10キロ。
時刻は正午を過ぎ、太陽が一日の中で一番熱量を発する時間帯だ。
体の奥底から水分と休憩と、日陰を所望した。
あと3キロというところでようやく木陰を見つけて思わず腰を下ろした。
サンダルを脱ぎ捨てると、ストラップに沿って日に焼けているのがわかる。むしろ焦げている。
汗腺の穴という穴から汗が噴き出し、体の異常を感じる。

最後の力を振り絞り、ギョレメへと戻る。
当初自転車のレンタル時間はあと3時間程あったし、
夕焼けをローズバレーで見るというプランではあったけれど
今僕たちに必要なのは、きれいな景色ではなく、休憩とビールだった。

町をふらふらと歩いていると、クラクションを延々と鳴らし続ける車の列が向こうからやってきた。
トルコにも暴走族がいるのかと、意外に思っていると、どうやらそうではないらしい。
車の中から僕たちのほうへ笑顔で手をふる人の姿が見える。
いったいなんだろう?
一台の車に目がとまる。車全体にリボンが巻かれていて、車内にはドレスを着た人が見える。
結婚式のパレードだ!HANAが言った。
式を終えた夫婦が、車で町を回っているところだったのだ。
遠い異国の地で、一瞬しか見る事のない花嫁の姿に、とても温かいものを感じた。
トルコという国が好きになった。


この日、カッパドキアを離れる事になっていたので、土産物屋を物色し、キリム絨毯の店にも入った。
店の奥の方で、店員が手招きをしている。向かいには日本人とおぼしき女性二人が座っていた。
絨毯を買ったら、ワインを飲もうと誘われたので、飲んでいるところだ、と彼女たちは言った。
僕たちも便乗してワインをいただくことになった。
埼玉から来たという二人と
過去に華道家の娘と交際していたという絨毯屋のおじさんとの奇妙な宴会が始まった。
そのうち中国人のカップルも、店内で絨毯を見ていたはずなのにいつのまにかワインを飲んでいた。
サイクリングで疲れきった体においしいワインが染み渡ったということもあり
気に入った絨毯を見つけると値段交渉をして、だいぶ安い値段でキリム絨毯を手に入れることができた。
埼玉の二人は帰り際おじさんに口説かれていた。
僕たちもバスの時間があったので帰った。とくに口説かれなかった。

ホテルをチェックアウトすると、バスターミナルへと向かった。
パムッカレ行きのバスを待つ。
これから10時間のロングライドだ。
薄くアルコールが支配する頭の中で、カッパドキアに静かにお別れをする。
バイバイ カッパドキア
テシェッキュル カッパドキア


バスに乗り込むと座席に深く腰を下ろし、やがて深く眠りについた。

2012年7月27日金曜日

2nd day




知らない土地で眠りから覚めたときの感覚というのは気持ちがいい。
清潔なシーツと固めのマットレス。外からはすべての人々を眠りから覚ます音量で鳴り響くイスラムのお経。
思わず隣にいるHANAと目を見合わせてしまう。

窓から外を眺めてみると、壮大なカッパドキアの姿が目に飛び込んできた。
なんという凄まじい光景だろう。
この世のものとは思えない、目にしたことのない景色に僕は言葉を失う。
しばらくしてから、HANAとともに服を着替え、
朝食をとる前に外を散歩する事にした。

一歩外に出ると、太陽の光が地面を厳しく照らしている。
サングラスをかけないとまぶしくて目を開けているのがつらいほどだ。
土産物屋は朝早くから開店しているが、人の気配はない。
野良犬があてもなくふらふらと歩いている。僕たちにはまるで興味がないようだ。
ホテルの周りを15分程歩いてから、朝食をとった。
バイキング形式で、各々が食べ物を皿に取っていると、
若い従業員が、オムレツはいるか?と聞いてくるので作ってもらうようお願いをした。
慣れた手つきで卵を割り、ささっとかき混ぜフライパンに投げ込むと、
あっという間に皿に盛り、手渡してくれた。

テーブルについて景色を見ながら食べていると、
真っ黒に日焼けしたホテルのオーナーが近くの席に座ってタバコに火をつけた。
そして「日本人か?」と聞いていた。
僕たちは「そうだ」と言った。
「日本のどこだ?」と聞くので「東京からきた」と答えた。
そして、これからどこに行くのか、どういう予定であるかなどの話をした。
実にゆったりとした口調で。
なにも急ぐ事はない。ここはトルコだぜ?と言わんばかりだ。
彼はタバコの火をもみ消すと、違うテーブルへと向かっていった。

食後にコーヒーを飲んでいると、空の向こうで気球がゆっくりと上昇していく姿が見えた。
明日は僕たちもあれに乗るのだと思うと胸が高鳴った。

部屋に戻って身支度を整えると、グリーンツアーに参加すべく、バスターミナルへと向かった。
受付を済ませると、ワゴン車に乗り込んだ。
ガイドから説明があり、一人一人に名前と出身を確認した。
車内には、今朝到着したばかりだというカナダ人一家や、スペイン人、
アメリカ人夫婦など実に様々な国籍の人がいた。
中には一人で参加している女の子もいた。

まず先に向かったのはギョレメの丘だ。
カッパドキアを見渡せる場所で、360度の絶景が僕たちを待っていた。
チープな表現をするならばドラゴンボールのナメック星だ。ユンザビット高原だ。
ゴテゴテと不規則な小さな白い山が並んでいる。
自由時間を与えられたがガイドが10分で戻ってこいというので、
従順な日本人観光客の僕らはきっかりと時間を守ってバスへと乗り込んだ。

そのほかにセリメの丘、デリンクユ、イヒララ渓谷へと行った。
イスラム教の国トルコ、とばかり思っていた僕には意外なものばかりがそこにはあった。
イエスキリストの壁画がいたるところにあった。
トルコはさまざまな支配の中、キリストとイスラムを往復していたのだ。


とにかく日差しの強い中、歩きに歩いた。
そして洞窟の狭い道をひた歩き、川辺を虫の音を聞きながら歩いた。
狭い地下道を歩いている時、スペイン人の女性が歌をうたっていた。
HANAがスペイン語で「こんな時は歌が必要ですね」と言うと
彼女は嬉しそうに「そうだね」と言った。
会話は人を身近にさせる。

ツアーを終える頃には、英語圏の人たちはすっかり仲良くなっており
人生相談などが始まる程だった。
唯一アジア圏の僕たちは、そういった意味では孤立しながらも
見るものすべてに一喜一憂し、二人で感動を分かち合っていた。

夕方頃にツアーは終了し、元のターミナルに戻った。
そして誰からともなく集合写真を撮ろうと言って、みんなで写真を撮った。
みんながなんともいい笑顔をした。
おそらくもう二度と会わない人たち。素敵な時間を共有できたことに感謝した。

一度ホテルに戻り、休憩してからまた近所を散歩した。
トルコはなかなか日が暮れない。
8時になってようやく夕暮れだ。小高い山にあるレストランに入り夕食を取った。
ちょうど夕日がカッパドキアに降り注ぐ。そんな姿を見ながらエフェスビールを飲んだ。
HANAがどうしても食べたいと言って、テスティケバブを注文した。
これは、つぼに入った煮込みで、とてもおいしかった。

デジカメで撮った写真をお互いで見せ合って、どこが一番よかったか、と話をした。
僕が一番有意義に時間を過ごしたのは川沿いを歩いた渓谷だ。
時間がゆったりと流れていた。すれ違う人は皆優しい。
川のせせらぎ。虫の音。踏みしめる大地。
照りつける太陽は僕の肌を焦がしたけれど、いろいろなものを体全体で吸収した。



トルコの2日目が終わった。


2012年7月24日火曜日

1st day




仕事から家に帰ると、部屋の明かりが点いていなかった。
日付が13日から14日に変わる。深夜12時だ。
突然降り出した大雨で、服や鞄がびしょ濡れになっている。
やれやれ。明日も着ていくつもりの服だったのに。

部屋の中には、HANAが旅支度を完璧に終わらせたスーツケースが、
しつけの良い犬のように鎮座している。
僕のボストンバッグには、おさめられるべきものがまだおさまっていない。

トルコの気温を調べると、30度を越す日々が続いていた。
僕はTシャツを7枚とショートパンツ、海水パンツを鞄に詰め込んだ。
それからしばらくクローゼットを睨む。
しばらく考えて、ヤマさんのチノパンを持っていく事にした。
トルコの景色をヤマさんにも見てもらおうと思った。

3時を回った頃、玄関のほうからドアを開ける音が聞こえた。
HANAが疲れきった顔で帰ってきた。
それでも顔はどこかほころんでいて、
数時間後に控えた旅立ちを心待ちにしているようだ。

HANAが買ってきたビールで乾杯をする。
少しアルコールの入った頭で、僕は準備を済ませていった。
飛行機の中で読むつもりで、村上春樹の「遠い太鼓」を鞄に入れた。
その他にも数冊小説を用意した。

休憩のつもりで横になったソファで寝てしまい、気づいたら起床する時間になっていた。
パスポートとチケットがあれば、あとはどうなっても問題ない。
まだ余裕のあるボストンバッグを片手に、HANAと家を出た。

駅まで歩く道が、普段とは違って見える。
空はいつもより高く感じられ、重い荷物を持っているはずなのに足取りは軽かった。
地下鉄で渋谷に出ると、HANAが予約していた成田エクスプレスで空港へと向かった。
車内の人たちは、みなそれぞれどこかに旅をする人たちなのだ、と思うとワクワクした。
空港につくと、一通り必要な手続きを済ませ軽く食事をとった。
通された席からは、長い滑走路から飛び立つ飛行機の姿が見えた。
数時間後には僕もその飛行機の中だ。
離陸する瞬間の体にかかる重みを想像しては心臓の鼓動が早まるのを感じた。

食事を終えると出国手続きをし、44番ゲートへと向かった。
出発の時間は遅れており、ベンチでは外国人が4人分の座席を陣取って居眠りをしていた。
僕とHANAはそれぞれ一人分の席に座り、じっと時がくるのを待っていた。

入場のアナウンスが鳴り、ゲートをくぐる。
飛行機に乗る瞬間の、どこか既に異国を感じるあの空間。
外国人のキャビンアテンダント。
優雅なビジネスクラスを横目に、僕たちの席へとつく。
手荷物は座席の下に置いておく、とHANAが言うので僕もそれに習った。
首が疲れないように、既に枕をスタンバイさせている。
旅慣れた彼女はとても生き生きしてみえる。

出発のアナウンスが英語、トルコ語、日本語と続いた。
僕らを乗せた飛行機が猛スピードで滑走路を走っていき、
そして青空へと飛んでいった。




11時間のフライトを終え、飛行機はイスタンブールへと到着した。
僕たちは国内で乗り換えがあるために、荷物は受け取らず手続きを済ませていった。
空港内にある食堂で、おいしそうなパンと、エフェスビールを買った。
トルコでの初の食事だ。

出発の時間まで余裕があったので、ふらふらと空港内を散歩した。
窓口に向かって大声で怒鳴り散らす人。
黒い衣装をまとった人。
家族で団らんを楽しむ人。
それぞれがそれぞれの時間を過ごしていた。

出発の時間になり、飛行機に乗った。
カッパドキアに向かうためのカイセリ空港を目指す。
隣の席に座ったおじいさんは、体がとても大きく、小さな窓を塞いでしまい
外の様子はまったく見る事ができなかった。


1時間と少しで目的の空港へついた。
入国審査を通って外に出ると、プラカードを持った人たちで溢れていた。
それぞれに名前が書いてある。ホテルまでの送迎をしてくれる人たちだった。
僕たちの名前をその中から見つけると、車へと案内された。
既に車には数人乗っていた。

空港のにぎやかな喧噪を車は猛スピードで抜けていく。
しばらくすると、ネオンは遠くへ消えていった。
夜の10時を過ぎていたので辺りは暗く、様子を伺う事はできなかったけれど、
だんだんと人里から離れていく気配はあった。
そして、舗装された道からでこぼこした道へと変わり、
外の景色は暗がりでもわかる程に一変した。
見た事のない荒野。
とんがった岩肌。
車はそんな所をスイスイと走り、坂道を上り、停車した。
外観は洞窟だ。でもそれがホテルだ。

車はそれぞれ、ホテルの前で止まっていく。

車から一人、また一人と降りていく。
最後に、僕たちの泊まるホテルに到着した。
カルバンサライ ケイブホテル。
チェックインを済ませると早速部屋に案内される。
洞窟に作られた部屋。
敷物にはキリムの絨毯。
小さなテーブルに、僕たちの新婚旅行を祝うために、
ホテルが用意してくれたワインがかわいらしい花とともに置かれていた。

二人は顔を見合わせると思わず抱きついた。
夢にまでみた新婚旅行。
顔の似た夫婦が、ここ一番の笑顔を見せていたに違いない。
窓の向こうには、壮大なカッパドキアの片鱗が顔をのぞかせている。



僕たちの旅は始まった。

2011年12月12日月曜日

iMacのある生活

我が家にiMacがやってきた。
それは、僕が数年前に買ったときよりも、当然はるかにパワーアップしてやってきた。
梱包も心なしか丁寧だ。

メモリの増設は自分でやることにしたので、手始めにそれをやった。
iPhoneで作業の確認をしながら行った。
割とスムーズに終わった。

それから、iMacの電源コードをつないで、セットアップは終わった。
Wi-Fiの設定も、いとも簡単に終わる。
新しい時代は作業を減らしていく。

iPhoneの同期はこれからだから、まだまだやることはいっぱい。

前のiPhoneで早速トラブルだ。
僕はもう寝たいのに。

2011年7月29日金曜日

wedding party



しばらく見ない間に、彼の背中は大きくなってた。
教壇に立ち、毎日何十人もの子供たちの前でぶれない教育をするなんてのは
同い年の友人として尊敬する。

末永く幸せに

2011年7月19日火曜日

2011年7月12日火曜日

Mr.Freedom



誰が言っても伝わるような言葉じゃない