2010年2月25日木曜日

写真日記





都内たちみちやにて。カメラ小僧たち

就職活動の記録2

某日、都内某所。
6年前に買ったギャルソンのジャケット、ワイズの極太なスーツパンツ。一歩間違えたら大阪のおばちゃんが着てそうな柄のニットを勝負服に選び面接に臨んだ。ドアベルを鳴らすと一人の男性が顔を出した。「本日面接の機会をいただきました長橋と申します」「ああ、どうぞ」とその人は言い、促されて部屋に入った。室内は30平米ほどの広さで自然光が入って明るく、窓の外には青山霊園の緑が見える。おそらくTRUCKの大きなテーブル。椅子は6脚。テーブルの横には画材が並んでいた。
電話を受けていたADと他に2人も席に着いた。同時に僕も椅子に座る。お茶の入った洒落たカップが僕の前に出された。前日送っていた僕の書類がテーブルに並び面接がスタートした。
「今いくつなの?」
「この前26歳になりました」
「へー前職は◯◯かー、こういうの大変でしょ?情報いっぱい詰め込んでさ」
「確かにそうですね。でも慣れましたね。」
「俺も前に××のADをやってたけどさ編集と喧嘩したもんだよ、余白の美とかないもんね」
こういった感じで話は進んだ。笑いも含んでいて僕の緊張感もちょうどいい具合だった。

ポートフォリオとは別に、自己紹介のための小冊子を作っていた。ADはそれをめくりながら「これ店で印刷したんだ?お金かかったでしょう?」と言った。「いえ、でもポートフォリオだけじゃ伝わらない部分もあると思いまして…」と僕は言った。すると「B型なんだ?」とADは言った。小冊子の中に「静岡生まれのB型」という見出しがあったのだった。「あ、そうなんです」と僕が言うと「うちはB型はとらないようにしてるんだよねー」と愕然とすることを言われた。「書類送られて来た時に『あ、この人B型だ』って言ってたんだよ」言葉を失う僕。
「でもB型っぽくないよね」とADは言った。僕はここをたぐり寄せるしか無いと思い「そうなんですよ、A型っぽいねって言われます。母親がABで父親がOなんで限りなくA型寄りのB型なんだと思います…」と苦し紛れの言葉を紡いだ。それから「俺は何型で父親が何型で…」という話が続いた。

その後「どうして仕事を辞めたのか」とか「フリーで働くつもりは無かったのか」とかを聞かれた。志望動機などは聞かれず「◯◯に住んでたら自転車で通える距離だね」などの話をした。なにか質問があれば聞きますと言われたので、デザインをした現物を見せてもらったり。実際に採用になった場合どのような仕事を担当する事になるのかを聞いた。気がついたら1時間経っていた。

「来週には返事をいたしますので」と言われ、お礼を言って部屋から出るとすれ違いで次の面接者が部屋に入って行った。
僕は思いのたけをすべて出し切り体温が上がっていた。近くにあった喫煙所で煙草を吸うと、1時間前とは少し気分が違った状態になっていた。

1週間後、1通のメールが来て僕はニートじゃなくなった。

就職活動の記録

某出版社のインハウスデザイナー的な存在だった僕は、2009年9月30日にそこを辞職した。翌月から自動車の免許を取りに行った。11月の頭には免許も無事取得できた。すると僕はスーパー暇人になった。

社会とのつながりは、彼女と友人達。しかし四六時中一緒にいるわけでもないので、一人の時間が圧倒的に多かった。起きる時間も昼下がりになったりして、はっきり言って廃人だった。もちろん就職活動はしていた。ポートフォリオ、書類を作って会社に送っていた。返事はまったくなく、ただひたすらに書類を作り直しては送っていた。すると年が暮れた。

見かねた友人は、自身も転職の際に利用したという転職サポートの会社を紹介してくれたりした。前職の給料は辞めてから2ヶ月は支払われていたがお金というのはあっという間に無くなって行く。年も変わって自分の中でもこのままではかなりまずいという意識に苛まれていた。道行く人を見ては「この人もちゃんと仕事してるんだな」とか「お金稼ぐのはほんとに大変なことだな」と思った。そんな時に、毎日見ていた求人サイトに僕の望む仕事をしている会社を見つけた。

求人サイト経由でデザイン会社のサイトを見て、仕事内容に嫉妬したのは初めてだった。こいつは書類を送るしか無いと思い、思いのたけを綴った職務経歴書を作成し送った。1週間が経った頃1通のメールが来た。「書類、作品等を拝見したところ、面接をさせていただきたいと思いますのでご都合の良い時に…」「つ、ついに!」僕の心は小躍りし一番早い時間を希望してメールで返信した。2日後に面接は行われた。

2010年2月17日水曜日

文章を書く事についての考察

文章を書くと心が落ち着くのは、自分と対面する事ができるからだと思う。日記にしても、一つ一つの行動を振り返ることで自分と対面している。難しいことではなく単純に。
人生の中で、こんなにも一人の時間が長い事はなかった。もちろん完璧に一人でいるわけではない。恋人や友達、家族からの電話…そういったものが僕の周りに存在してくれているけれど。

外は雨が降っていて、おまけにすごく寒くてどこにもでかけたくなくなるような、そう、今日みたいな日。家族からの電話で「いつも何をしているの?」って聞かれる。自分が何もしてなくても時間は経つし地球は回転しながら太陽の周りをぐるぐるぐる。宇宙のなかの地球という小さな星の小さな日本のなかで僕は何をしているんだろう。
今はみんなと歩調が合ってないかもしれない。もしかしたら1周遅れてるかもしれない。
けど何かしてる。生きてる。音楽を聴いたり、料理を作ったりしている。
改まって人に言うような事では無いけどそんなことをしている。何かをしている。人が日常で送ることを、その人より丁寧に時間を使ってやってるだけ。

ようやく決まった一つの面接。まだ面接の段階だけれどそういったものを大事にしていきたいと思った。今とは違う場所でなにかをやる。なにかをやることには変わりない。
場所にこだわりをもつよりもなにをやるか。肩書きよりもなにかをできる、なにかを成せるようになりたい。結局裸一貫になったときに残るのは会社の名前じゃなくて自分だから。
もしかしたら大企業に勤められない人間のひがみかもしれないけれど、実際そうなのかもしれないけど、それを認めて自分の足りない部分を認めてから先に進むようにしようと思う。

「下が決まれば上に行くだけだよ」僕が行ってる美容室のおばちゃんが言ってた。
つまりそういうこと。
That's all

2010年2月16日火曜日

ありがとう

2月14日、hanaと二人、新宿の映画館で「抱擁のかけら」を見た。
こういった日常の切り取り方いいなと思わせる描写と、非現実的な部分のバランスの良さというものを絶妙に織り交ぜていた。スペインの映画の傾向なのかこの監督の傾向なのかは分からないのだけど、物語の終わらせ方が不思議だった。
のっけから始まるラブシーンに対して主人公の男性は盲目という、どこか「静と動」を自分なりには感じた映画だった。一番好きなシーンは親子が朝食を食べるシーン。果物や花の鮮やかな色に囲まれていてとてもきれいだった。
映画を見た後、銀座に行った。こじゃれたブティックに入ったりあてもなく歩いたりした。夕飯の予約時間までしばらく時間があったのでエルメスギャラリーに行った。初めてエルメス店内に入った。8階にギャラリーはあった。店員の案内でエレベーターに乗る。新作のオードトワレがあるらしくその香りを楽しんだ。会場にはロウのようなもので作られた人体と思われるオブジェが10点ほどあった。外国人が作品を指差しながらなにやら会話をしていた。

カメラを持った集団が、COACHのショップ前でロゴを色んな角度から撮ってるのを尻目に、隣にあるマツモトキヨシで軽食を買って食べながら、電車に乗って人形町へ行った。「今半本店」である。hanaが予約をしてくれていて個室に通された。私の誕生日会である。
和服を召した妙齢の方が部屋まで案内してくれたのだけれど、他の部屋からはおじさんたちの笑い声が聞こえた。

「この度はお誕生日だそうで、、、」と言って仲居さんが僕にラッピングされたシャンパンを
くれた。その心遣いに驚いた。料理はまず、もずくとショウガの和え物から始まった。一つ一つが丁寧で上品。美味しくいただいた。メインのすき焼きまでいい具合に僕の胃の中を準備してくれて行った。この店はすき焼きを美味しくいただくために仲居さんが取り分けてくれる。その間僕たちは固唾を飲んでその様子を見ているわけだ。

果たして、小皿に取り分けられたそのお肉は生卵と絡まって口のなかでとろけ、しかし噛めば肉汁が広がる絶品であった。味を引き立てるネギなども忘れてはならぬ。「残った卵をご飯にかけていただいても美味しく召し上がって頂けます」仲居さんは素晴らしい情報を我々に提供した。hanaは生卵が苦手であったために僕だけ食したが、肉汁と生卵のかかったご飯はとても美味しいものだった。
高級なお店だと言うのは様々な事に行き届いてるもので、ああ、そろそろお茶が欲しいなと思うタイミングでお茶が出て来たりする。そういったところも抜かりが無い。そしてそのお茶が非常にうまかった。ほうじ茶のような緑茶だった。

デザートに林檎のシャーベットを取り、食事を終えた。店を出ると仲居さんは僕たちが角を曲がるまで見送りを続けてくれた。接客というのはこういうことなんだなと思った。
ほろ酔いの中、家に帰った。

家には、プレゼントされたプレゼントとバレンタインのチョコレート。
happy birthday&happy valentine's day
26歳をお祝いしてくれてありがとう

ありがとう

メモ





2010年2月13日土曜日

26年前のバレンタイン

26年前の沼津では、珍しい雪が降った。バレンタインデーだった。
母親は富士市の病院で帝王切開をして僕を生んでくれた。病室には祖父母4人、父親、2歳の兄がいた。「女の子が生まれてくると思って女の子の名前しか考えてなかったのよ」母親は何年かした後に僕に教えてくれた。果たして生まれて来たのは2900グラムの男だったわけだ。
それでも両親は僕に「優」という名前を付けてくれた。「優しくて明るい男の子になりますように。お兄ちゃんが『翼でたすく』だから、あなたも3文字で『すぐる』ね」名前は願いだ。僕は両親の願いを叶える事ができただろうか?

先日、実家にいる祖父母から荷物が届いた。新聞にくるまれた野菜や果物だった。早速祖父母にあてて電話をかけた。
「おぅ荷物は届いたか?こっちも寒いけどそっちはどうだ?」と祖父が言った。
「こっちも寒いよ、雪が降るしね」僕は答えた。
「就職はどうだ?決まりそうか1.2個送って駄目だからって諦めるんじゃないぞ」と祖父が言った。
「うん、がんばるよ」と僕は言った。祖父が時折小さな咳をするのが気になった。
「また何か送ってやるよ」と祖父は言ったけど僕はいいよと言った。実家の離れで暮らす祖父母の姿が浮かんだ。なんだかとても申し訳ない気持になった。
今年の祖父母の誕生日には何かを送ろうと思ったけど誕生日を忘れてしまった。僕の誕生日は覚えてくれているのにね。
明日は家族に感謝する日にしよう。マイバースデーバレンタイン。
明日は雪が降るのだろうか。