こんなことってあるんだろうかということに尽きる。
祖母が他界した際号泣していた祖父が、その半年後に逝ってしまった。92歳だった。
8月28日木曜日に、母親から連絡があった。
「おじいさん、もうだめかもしれない」
こちらとしては寝耳に水で唐突に感じられることなのだけど、一緒に暮らしていた家族からすれば不思議ではないのかもしれない。
肺が元々悪かったのだけど、ベッドから転倒して腕を強く打ってしまってから、様子がおかしくなり、入院。それから転院した。ということを聞いていた。
それから程なくしての出来事だった。ちょっとしたきっかけで最後の糸が切れてしまったということなのかもしれない。ばあちゃんが亡くなった際に、もう糸は張り詰めはじめていたのかもしれない。
金曜日の早朝、母と連絡をした際はまだ生きていた。
僕は仕事を休み病院に直接行こうと思い支度をしていた。7時前だ。
それから少しして兄から連絡。亡くなったとのことだった。
ばあちゃんの時同様に間に合わなかった。
それでも僕は予定通り沼津へと向かった。行き先が病院ではなく自宅になった。
よくわからない感情で新幹線に乗り、電車を乗り換えて最寄駅に来てくれた兄の車に乗り込んだ。
数週間前に実家に来たときはばあちゃんのための祭壇が飾られていたはずだったのに、それを片付けてじいちゃんのための場所を作ることになるなどだれが予想しただろう。
畳の部屋に布団を敷き、運ばれてきたじいちゃんを寝かせた。そして葬儀屋の方がやってきた。この人のとても丁寧な扱いで心が落ち着いた。それから和尚さんがきたのだけど、なんだか半年前を繰り返しているようだった。
弔問してくれた人たちは口々に「おばあさんのところに行ったんだね、寂しかったんだね」と言った。
92歳といえば、天寿を全うしたと言っていいと思う。
満州で生まれたじいちゃんと、樺太で過ごしたばあちゃん。
結婚してから離れ離れになったのは死だったけど、その期間はたったの半年。
じいちゃん、ばあちゃん、親父、おかん、兄夫婦、3人の子供
そんな大家族が過ごしていた家から二つのピースが欠けた。
なんだか一つの時代が終わった感が強い。